日本の文化 本当は何がすごいのか【第7回:庭園と日本人(続)】

日本の庭園2(サイズ変更)

西芳寺庭園 枯山水石組

庭園の石に見る日本とヨーロッパの違い

 庭園には石や岩も重要です。石や岩が置いてあるところが庭である、という定義が成り立つくらいです。日本の庭園では置かれる石や岩も自然でなくてはなりません。だから、多くは山野にあったものをそのままもち込んで置かれます。自然のままの石や岩が置かれることで、庭園の似せた自然がさらに自然らしくなります。それが石や岩の効用なのです。もっとも、手が加えられた石や岩が庭に置かれることもないではありません。しかし、その加工はあくまでもより自然に似せるためのものです。加工の跡が見て取れるようなものであってはなりません。    ヨーロッパの庭園にも石は置かれます。しかし、その石は削られ磨かれ、加工がはっきりしていなくては楽しまれません。石一つにも日本とヨーロッパの違いは歴然です。    このように述べてくると、日本三大名園の一つである金沢の兼六園には噴水があるではないか、あれはどういうことだ、という声が聞こえてきそうです。    兼六園の噴水は最初からあったものではありません。明治になって西洋文明に接した日本人はいろいろなものを珍しがりました。この珍しがりぶりは知的好奇心とよぶべきもので、日本人の一つの特性だと思います。それが噴水で、これを兼六園に置いたのは日本人の好奇心のなせる業、と受け止めたいものです。  

中国の庭園

 中国の庭園にも触れておきましょう。中国の庭園も自然に似せてつくられています。しかし、日本のそれとはまったく異質で、強い人工性が感じられます。それはなぜなのか。    道教思想の強い影響なのでしょう。中国人の中にある美しい自然は深山幽谷のイメージなのです。日本人のようにすべての自然に美を感じる──それは自然のあらゆるものに神を見ることでもあるのですが──感性ではありません。    中国の庭園は深山幽谷のイメージに似せてつくられるのが原則です。だから、断崖絶壁に似せた切り立った崖がつくられたりします。もちろん、文字どおりの深山に足を運べば、そういう自然に出合えるのでしょうが、庭がつくられる場所は人間が住むところで、深山ではありません。つまり、そこにある庭園は周辺の自然とはかけ離れたものなのです。その違和感が強い人工性を感じさせる原因です。  

イギリス式庭園

 ところで、ヨーロッパの庭園でもイングリッシュガーデン、イギリス式庭園を好きな日本人は多いのではないでしょうか。自然をそのままとり入れたイギリス式の庭園は、日本人にはなじみやすいのでしょう。イギリス式の庭園は、十八世紀、自然そのままに似せた日本の庭園に触れて影響を受けたイギリス人が発展させたものなのです。  しかし、自然を取り込むとはいっても、イギリスと日本では大きな違いがあります。イギリス式庭園は自然そのままを良しとしますから、規模は大きく、ゆったりとしたものになります。これに対して日本の庭園にはただ自然に似せるだけでなく、そこに凝縮という作用が加わります。自然を凝縮して、凝縮した中に自然を見出して楽しむ。これは日本人ならではの美的感性だといえるでしょう。    凝縮した究極のものが箱庭であり、盆栽です。凝縮して凝縮して、そこに自然を感じ取る。考えてみれば、これほど人工的なものはないかもしれません。しかし、その人工を秘めて凝縮されたものに自然を感じ取って喜ぶのは、自然と同化して戯れる一つの姿なのです。    凝縮。これは日本人の美的感受性として忘れてはならない重要なポイントです。 (出典/田中英道著『日本の文化 本当は何がすごいのか』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』(いずれも育鵬社)ほか多数。
日本の文化 本当は何がすごいのか

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