劣化する日本の企業文化――失われゆく“人間の尊厳”

運転台に足を乗せて新幹線を運転

<文/佐藤芳直 連載第7回>

 少し前になるが、とんでもない報道があった。29歳の男性運転士が新幹線の運転台の上に足を乗せて運転していたというのだ。高速・高密度で運行する新幹線は、列車間隔や速度を自動制御するATC(自動列車制御装置)を採用している。新幹線は時速200km以上の高速運転であるため、運転士が前方に異常などを発見しても、急ブレーキをかけてから完全停止するまでに2km以上走ってしまう。また、運転士が在来線のように線路際に設置されている地上の信号機をいちいち視認して運転することが非常に困難である。

 そこで、ATCにより、先行列車との間隔などを考慮した許容速度を列車の速度が上回った場合は、自動的にブレーキを作動し、許容速度以下まで速度を低下させる。また、進路を一定距離に分割して構成される区間(閉そく区間)を定め、各区間には1つの列車しか入れないようにすることで、列車相互間の安全を確保している。平成15年に山陽新幹線で、運転士が岡山駅手前で8分間居眠りをしてしまった事故があったが、このATCが作動して、ホーム前で緊急停車したために大事には至らなかった。

 だから、運転台の上に足を乗せて運転しても事故は起こらないだろう。だが、これは日本人特有の考え方だが、“神聖な”運転台に足を乗せて運転をするなどとは、彼は鉄道マンの風上にもおけない。これは一例だが、近年、このような社会規範の乱れがどうも目に付く。

日本社会は劣化している?


 では、なぜ私たちは社会が劣化してきたと感じるのか? よくマスコミで評論家が、主に経済的な理由や社会保障などの社会システムの面から、世の中がどんどん暗くなっている、悪くなっているなどと論じている。そういう理由もあるのだろうが、それらは我々が感じるものの正体ではない。

 もちろん社会のすべてが悪い方向へ向かっているわけではない。例えば、少年犯罪の件数や凶悪犯罪の数は年々、戦後最低を更新している。アメリカや他の先進諸国と比べてもはるかに低い数値であり、日本は極めて安全な国というのが世界の国々の評価だ。また、今の街中と、30年前の街中を比較すれば、明らかに今の方がきれいである。30年前の公衆トイレと今の公衆トイレは雲泥の差である。そういう点においては、むしろ劇的に良くなっている。

「ダメなことはダメ」と言えなくなった


 1980年代ぐらいまで、日本の社会は「公が大事」という認識を多くの国民が共有していたように思う。私はちょうどその頃に社会人になったが、例えば道端で弱い者いじめをしている子供がいれば、コラッ! と怒ったものだ。入社してすぐに配属された大阪の豊中市は風情のある下町で、子供たちがケンカをしているとどこからかランニング姿のおじさんがやってきて、「何ケンカやっとんだ、そんなひきょうなケンカすなー」と叱ったり、歩道を子供が自転車で走っていると、「ここは人が歩くところだ」と注意したりしていた。ダメなことはダメなんだ、ならぬことはならぬ、公に反することをしてはいけないという共通認識があった。

 人間もちろん自分が大事である。今が大事だし、お金もとても大事だ。しかし、自分よりも他人の方が大事なときもある、今よりも未来の方がもっと大事、お金よりも大切なものがある。これが“人間の尊厳”である。他の誰よりも自分が大事、どんな未来のことよりも今が大事、お金より大事なものはない、そのような考え方の中にいては、人間としての尊厳は著しく損なわれていくだろう。今だけ、自分だけ、お金だけという思想が、どれだけ現在のこの地球をダメにしてきたか。

 なぜ社会が劣化してきたのか? それは“人間の尊厳”を失った日本人が増えてきたからである。

“人間の尊厳”を奪ったグローバリズム


 ではなぜ人間の尊厳が失われているのだろううか? これはわが国がグローバリズムを推進していった当然の帰結であると思う。

 連載第2回「トランプ候補への支持、イギリスのEU離脱が示したグローバリズムの限界」で述べたように、グローバリズムを成り立たせてきたのは、産業革命の成功である。例えばイギリスで産業革命が起こり、モノを大量に作ることができるようになったが、そうするとイギリス国内で売り切ることはできない。結果として、世界に輸出をしようとする。原材料が安ければ安いほど利益は上がる。人件費が低ければ低いほど利益は上がる。そうすると、土地も原材料も労働力もタダみたいなコストで手に入る、そんな植民地を持ちたいと思う。人件費を下げるには、誰がやっても同じ結果が出る、教育に時間をかけなくても優秀な人を雇用しなくてもよい、移民でもできるような仕事に細分化してしまえばよい。植民地主義もいわゆる帝国主義も、この大量生産をベースとした近代資本主義が生み出したのである。

 その結果、資本主義は“標準化”という考え方を生み出した。この“標準化”には“パート化、マニュアル化、コントロール化”の三つの要素がある。大量生産技術を活用しようとすると、あらゆる仕組みを“パート化”しなければならない。つまり、人間を部分部分で大量生産をさせる「機能」にしなければならない。パート化した上に、さらに“マニュアル化”をして、現場の人間が考えなくてもよい仕組みがつくられる。そして、“コントロール化”して、上位下達で物事が動く仕組みをつくる。このことについては、連載第3回「パート化、マニュアル化、コントロール化――日本人はいつまで“底辺への競争”に参加し続けるのか」で述べたが、これらが大量生産前提の資本主義を成り立たせてきた。

“自発”を大切にしてきた日本人


 実は、たいていの人間はコントロールされたいと思う生き物である。コントロールしたいと思うよりも、コントロールされたいと思うのが人間の本質である。

 一方で、日本人というのは、“自発する”ということを大事にしてきた。良いと思うことをやりたい。こうした方がいいということを誰に指示されなくてもやりたい。なぜなら、指示者が見ていなくてもお天道様が見てくれているからだ。誰かが見ているからいいことをやるわけではない。自分の中で、内なる自分の声に従って行動しようとする。

 だから、特に日本において、大量生産技術を前提としたパート化、マニュアル化、コントロール化というのは、外国ほどには徹底して根付かなかった。全体善のために行動したいと思う、生成発展(生成とは「あっちの方向に行こう」と全員が思うこと、発展というのはそこに向かって成長していくこと)したいと思う、自発をしたいと思う、この三つの考え方が日本の産業を他の国の産業よりもはるかに高効率で合理的なものにしてきたのである。

アメリカナイズにより破壊された日本の企業文化


 「そんなことはない、日本の企業はずっと利益率が低く、生産性も低かった」という人がいる。そのような人には私は次のように答える。「1990年代までの日本の生産性が低いということは認めよう。利益率が低いというのもその通りだ。一人あたりの販売高も小さい、全くその通りだ。しかし、あなたはその本当の理由をご存知か? それは、企業が過剰な労働を確保して、国の福利厚生策以上の国民福祉を実現してきたからだ」

 「あいつはできが悪いからもうやめてもらったほうがいいんじゃないか? でもあいつ、うちの会社やめたら働くとこないからな。まあ、なんか仕事やってもらおうか」そのような相身互い、助け合う、譲り合う、思い合うという体制が、日本企業の効率性、生産性を阻害してきた。だが、その結果、国の借金は小さく済んだのである。ここが大事である。

 90年代以降、日本はアメリカ式管理会計制度を導入し、あるいはマネジメントの仕組みを入れ、成果主義が入ってきた。結果として、助け合い、思い合い、譲り合うよりもパート化、マニュアル化、コントロール化のほうが大事になってしまった。

 パート化、マニュアル化、コントロール化で自分の労働を金銭と換えるのであれば、別に非正規雇用社員でもいいわけだ。機械のように働いてくれたらいい、社員は機能である、組織で生成発展し、全体善を考え、自発しようと思う、そんな社員は不要だ。愛社精神などと戦後の名残のようなことを言うなよ……。

 結果としてどうなったか? 日本という国が多くの借金を抱えるようになった。当然である。所得税も伸びないのだから、企業は内部留保、つまり利益をひたすら溜め込むようになる。社員教育にはお金がかかるから、パート化、マニュアル化、コントロール化を取り入れ、結果、人の質を上げる必要がなくなる。そして、日本の社会の著しい劣化が、企業経営の中に見られるようになってきたわけである。

【佐藤芳直(さとう・よしなお)】
S・Yワークス代表取締役。1958年宮城県仙台市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、船井総合研究所に入社。以降、コンサルティングの第一線で活躍し、多くの一流企業を生み出した。2006年同社常務取締役を退任、株式会社S・Yワークスを創業。著書に『日本はこうして世界から信頼される国となった』『役割 なぜ、人は働くのか』(以上、プレジデント社)、『一流になりなさい。それには一流だと思い込むことだ。 舩井幸雄の60の言葉』(マガジンハウス)ほか。

<写真/Norihiro Kataoka

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