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クリック=派閥の台頭とディーゼルの大化け――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第193回(1995年編)

 クリックとはディーゼル(ケビン・ナッシュ)、ショーン・マイケルズ、レーザー・ラモン(スコット・ホール)、123キッド(ショーン・ウォルトマン)、ハンター・ハースト・ヘルムスリー(現在のトリプルH)の5人による派閥で、ビンス・マクマホンの意向とは関係なく、リングの上とバックステージを同時にコントロールするために結成された政治的グループだった。  ディーゼルは1993年6月、WCWからWWEへ移籍。1994年11月、ボブ・バックランドを下しWWE世界ヘビー級王座を獲得し、1995年4月の“レッスルマニア11”ではWWEの主役としてメインイベントのリングに立った(ショーンを挑戦者に迎えてのWWE世界王座防衛戦)。クリックはもともと全米ツアー中の移動仲間だったディーゼル、ショーン、ラモンらの仲よしグループだったが、ある時点から政治的な発言力を行使する派閥に姿を変えた。  WWEと契約した時点でのディーゼルはキャリア3年のルーキーで、髪はまだ短く、当時はヒールだったマイケルズのボディーガードという役どころを演じていた。  その後、マイケルズとの仲間割れ―シングルプレーヤー転向という一連のドラマをへて、ニュージェネレーション路線のベビーフェースとしての道を歩み、WWE世界王座を手に入れて“主人公”の座を不動のものとした。ディーゼルはこの間、いちども髪を切らず、セミロングの黒髪が肩までのワンレングスに伸びていくまでのプロセスを映像に残した。  4.2“レッスルマニア11”から6週間後に開催された5.14“イン・ユア・ハウス1”でディーゼルは“出戻り”のセッド・ビシャスと王座防衛戦をおこない、6.25“キング・オブ・ザ・リング”のメインではベビーフェースに転向したばかりのバンバン・ビガロとの即席コンビでS・ビシャス&タタンカと対戦(ディーゼルがタタンカをフォール)。
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ディーゼル対セッドの再戦は、クリックにとって好都合だった
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