国立の歴博が、入場料収入をアップさせる秘訣(3)――戦後の賠償・補償は、完全に終結している

サンフランシスコ平和条約に署名する吉田茂首席全権

平和条約の締結は、戦争状態を終結させること

   次に、なぜ「アジア・太平洋戦争」を用いるかの歴博の回答である④、「戦時だけではなく、戦後のなかでも補償や責任、和解などの問題が依然として続いていることを意識した用語であり、(歴博も)この呼称を使っている」という点だが、これも趣旨に疑問を抱かざるを得ない。  ご承知の通り、戦争状態を終結させるための条約が平和条約である。わが国にあっては、昭和26(1951)年9月、米国のサンフランシスコで行われた連合国諸国との講和会議に出席し、アメリカなどの48か国とサンフランシスコ平和条約が調印された。翌年4月、この条約が発効し、これによりGHQ(連合国軍総司令部)の占領下に置かれていた日本は独立を回復し、名実ともに戦争状態が終結した。  この講和会議において日本の戦争の賠償については、スリランカなどの提案もあり、大半の国は賠償を求めなかった。スリランカが、なぜそうした提案をしたかは興味深いところであり、機会を改めて紹介したい(いや、むしろ、歴博自らが展示すれば、見る人に歴史への興味・関心をわき起こすと思うのだが)。

誠実に行われた日本の賠償と戦後清算

 一方、賠償を求める国々も当然あった。これに対して日本は、以下のような賠償を誠実に行った。少し長くなるが紹介する。 (ア)サンフランシスコ平和条約に基づく賠償の例  フィリピン=5億5000万ドル ベトナム=3900万ドル 捕虜に対する償い=赤十字国際委員会に450万ポンド 日本の在外財産の放棄=約236億ドル (イ)個別の平和条約等を結び賠償した例  ビルマ=2億ドル インドネシア=2億2308ドル  ソ連=領土問題を除いた日ソ共同宣言(1956年)で、ソ連は日本に対する賠償請求権を放棄し、日ソ双方は戦争の結果として生じたすべての請求権を相互に放棄  *上記(ア) (イ)により、日本政府は「連合国及びその国民」との間での戦争の清算や賠償は、完全に終結しているという立場である。 (ウ)それ以外の戦後清算の例 韓国=サンフランシスコ平和条約の賠償対象国に入っていなかったが、昭和40(1965)年に日韓基本条約を結び国交を正常化した。その際に、日本は8億ドルの有償無償金を供与。これにより、韓国は対日賠償権を放棄し、個人への賠償も完全解決したとする「日韓請求権並びに経済協力協定」が締結された。 中国=サンフランシスコでの講和会議の際に、中華民国(台湾)と中華人民共和国(中国)と二つの政府があったため招待されず、その後、日本は個別に条約を結んだ。中国とは、昭和47(1972)年に日中共同声明を調印し、国交正常化や日本に対する戦争賠償の請求放棄が盛り込まれた。その後、昭和53(1978)年、日中平和友好条約も結ばれている。中国に対しては昭和54年以降、政府開発援助(ODA)が行われ、2013年度までに有償資金協力(円借款)を約3兆3164億円、無償資金協力(供与)を1572億円、技術協力を1817億円、総額約3兆円以上の援助が行われてきた。  *上記(ウ)により、日本政府は、韓国、中国との戦争の清算や補償は、完全に終結しているという立場である。  つまり日本は、国交のない北朝鮮を除き、また領土の案件(ソ連が主張する北方領土、韓国が主張する竹島、中国が主張する尖閣諸島)を除き、戦争の清算や、賠償、補償は、上述してきたように歴史的事実においても、法的にも完全に終結していることが分かる。  その上で何故、歴博は「戦後のなかでも補償や責任、和解などの問題が依然として続いていることを意識した用語」としてアジア・太平洋戦争という呼称にこだわるのか、不思議でならない。  歴博は、戦争責任や慰安婦の問題などにこだわっているのかもしれない。それならば戦争責任については、当時の国際情勢と日本が置かれていた立場について歴博自らが展示することにより、その是非を自ら認識できるであろう。  また、慰安婦については、日本がアジア女性基金などさまざまな拠出を行ってきた誠実な取り組みを、事実に基づき展示すれば良いのではないか(続く) (文責=育鵬社編集部M)
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