渡部昇一氏を偲んで(第1回)

渡部昇一氏(自宅書斎で)縮小

在りし日の渡部昇一氏(自宅書斎にて 撮影:難波雄史)

 平成29年4月17日、渡部昇一氏が逝去された。享年86。  当社・育鵬社では、渡部氏の著作を数多く刊行してきた経緯があり、在りし日の渡部氏を偲び、その思い出を著作等とともに、今後数回にわけて綴ってみたい。

渡部昇一語録の決定版=『歴史通は人間通』

 渡部昇一氏の膨大な著作の中から、その歴史観と人間観のエッセンスとなる言葉を選んで編んだ『歴史通は人間通』(育鵬社)は、氏の名言集(語録)としては数少ない書である。「渡部昇一という人は、“要するに”どんなことを言っていた人なのか」ということを知る上では、役立つ一冊に違いない。 「『人間』のことを英語では多少ふざけてmortal(モータル)と言うことがある。  この単語の語源はラテン語mors(モルス=死)から来ている。だからmortalは『死すべき者』というのが原義である。しかり、人間はみな『死すべきもの』である。  そんなことはわかっている。しかし死ぬまでの時間を、延長したり、また延長した時間をよりよく生きる工夫があるのではないか。(中略)  そういうことに比較的若い頃から関心を持っていた人と、そうでない人とでは、還暦前後からの老いの緩急の度合いや、老いの質が違ってくるのではないか(後略)」 (『歴史通は人間通』育鵬社、200~201ページ)

毎日少しずつの小さな実践

 氏の実践の一例が真向法だ。いま流行の「ベターッと開脚」である。氏はそれこそ還暦に近い頃から、硬くなっていた股関節を柔らかくするために、「毎日少しずつ」のストレッチと開脚訓練で、ついに「ベターッと開脚」に到達されたのである。  氏が70歳を過ぎた頃、健康法のお話をうかがっていた際、一度その勇姿を見せてくださったことがある。まさに「ベターッと開脚」である。思わず見ほれてその姿を写真に撮らせていただいた。氏は言葉にはされなかったのだが、「どうだ。すごいだろう」という無言の言葉が、その微笑みから伝わってきたものである。  すると、「君もやってみなさい」と、思いがけない声がかかり、命令に逆らうことなど考えられず、不様な姿をさらすと、「それは死後硬直ですな…」と失笑され、思わず爆笑したものだ。  氏の「毎日少しずつ」には、他にラテン語の辞書の単語の丸暗記というのもあった。これは80歳の頃に、記憶力の衰えを防ぐため、車での移動の際、その車中でなさっていたのだが、ついには一冊丸ごとを丸暗記されたのだ。記憶力は衰えるどころかますます冴えていった。  氏の「毎日少しずつ」は、その他にもたくさんのことがあった。その中の一つに、様々な立場の方々から寄せられるお便りへの返信があったと聞く。  どんなお便りに対しても、真摯に向き合い、誠実に的確な返書を送られたという。  実際に、当社から著作の増刷を知らせるお便りを見本とともにお送りすると、数日後には必ず、増刷に対する感謝の言葉が添えられたお葉書が届いた。直筆の署名と宛名書きの入ったものである。  こうした小さな実践を大事にされていた。

「どんなときも明朗な人」

 4月19日、春の陽光が降りそそぎ、八重桜が満開に咲き誇るなか、葬儀ミサ・告別式が執り行われ、その死を惜しむご親族などに見送られて天国へと帰っていかれた。 「父は『保守論壇の重鎮』とか『知の巨人』などと呼ばれていましたが、私たち家族にとっては、無類の愛妻家であり、並外れた子煩悩でした」 「父はどんなことも前向きにとらえ、どんなときも『明朗』な人でした。私たちはそれを受け継いで生きていこうと思っています」  渡部氏の長男でチェリストとして活躍されている玄一氏の告別式での言葉(要旨)だった。 (渡部玄一著『ワタナベ家のちょっと過剰な人びと』・海竜社刊は、氏の家庭での一面を知る上でたいへん興味深い。)  渡部昇一氏は、その博識と見識から多くの人々の尊敬を集める一方で、その温かい人柄ゆえに敬愛されていた(続く)。 (育鵬社編集長・大越昌宏)
歴史通は人間通

「歴史と人生」をテーマに選りすぐりの断章を収録した、著者の名言集

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