古墳時代の史跡・森将軍塚古墳が面白い(4)――三角縁神獣鏡の破片が物語ること

森将軍塚古墳館で展示されている年表

大和朝廷との関係が深い

 森将軍塚古墳館では、盗掘者が開けた盗掘抗から竪穴式石室の内部を覗けるようになっている。  こうした盗掘により、石室から出土した副葬品は数が少ない。わずかに発掘された副葬品は、三角縁神獣鏡(さんかくふちしんじゅうきょう)の破片、ヒスイ製の勾玉、鉄製の刀・剣、小型丸底鉢の土器などである。  この三角縁神獣鏡は、大和朝廷(大和政権)から全国各地の王に、政治的な関係を結んだ証として与えられたといわれている。長野県では、これまでのところ、唯一の出土例である。  大きな前方後円墳を造営するには、大和朝廷の許可が必要という。さらにこの三角縁神獣鏡といい、この森将軍塚古墳の被葬者は大和朝廷との関係が極めて深い。  となると、本連載の3回目で問いかけた被葬者は誰かという点である。  答えは、「科野のクニ」の最初の王となる。すると、連載2回目で紹介した初代・科野国造の建五百建命(たけいほたけのみこと)となるのではないか。  しかし、出土品の副葬品が極めて少なく、それを裏付ける根拠が乏しいため、被葬者について比定(ひてい)できていない。専門家の研究が進むことに期待したい。

古墳館の展示用解説パネルは分かりやすい

 さて、森将軍塚古墳館の展示用解説パネルは、全体的に分かりやすい。例えば、上の写真のように、日本の時代区分が表示され、その頃の世界の動きも紹介されている。  旧石器時代、縄文時代、弥生時代、さらに、森将軍塚古墳などが造られた古墳時代、その後、飛鳥時代、奈良時代、平安時代……明治、大正、昭和、そして今日の平成時代となる年表であり、時代の大きな流れがつかめるポイントを押さえた年表である。  例えば、わが国の縄文時代の主な動きを次のように記している。 B.C.8000(紀元前8000年)「この頃縄文土器が作られる」 B.C.3000( 同3000年)「このころエジプト文明栄える」 B.C.1500( 同1500年)「このころ中国で黄河文明栄える B.C. 800( 同800年)「このころギリシアで都市国家ができる」  これは、歴史の事実関係が「さりげなく、控えめに」に記されている。  中学校の歴史教育にあっては、古代文明の起こりとして、エジプト文明や中国の黄河文明、インダス川流域のインダス文明などが強調され、わが国の縄文文化は、何か格下のような扱いを受けている。  また、縄文土器は、世界最古の土器の一つであるにもかかわらず、それを教えないケースもある。この食料を煮炊(にた)きしたり保存するための土器の製作は、移動型の狩猟スタイルから、食料が良く取れる土地での定住を可能として、当時のライフスタイルを一変させた。  この縄文土器は、北は北海道から南は沖縄まで数多く出土しており、当時の日本列島には、縄文文化圏が築かれていたことを物語っている。また、その時期の黎明期は、紀元前1万4000年と言われており、上記の紀元前8000年という解説は、成立期を示しているといえよう。  わが国の歴史は、その縄文時代を経て、稲作の栽培が本格化する弥生時代、そして、古墳時代に入り、ここで「森将軍塚古墳が造られる」と記されている。非常に分かりやすい展示解説である。  なお、縄文時代については『日本という物語』をどう伝えるか【第3回】――豊かな縄文時代像への転換という記事で解説したことがある。ご参考いただきたい。 (文責=育鵬社編集部M)
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