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ボブ・バックランド ニューヨークの“若き帝王”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第46話>

 ふつうだったら長編ドラマはここでジ・エンドとなるところだが、“バックランド物語”には短い続編があった。  スーツに蝶ネクタイの“保守系ヒール”という政治家キャラクターに変身してWWEに復帰したバックランド(当時45歳)は、ブレット・ハートを十八番チキンウィング・フェースロックで破りWWE世界ヘビー級王座を11年ぶりに奪回(1994年11月23日=テキサス州サンアントニオ“サバイバー・シリーズ”)。  フィニッシュ・シーンは、アイアン・シークに敗れてチャンピオンベルトを失ったタイトルマッチがそうであったように、セコンド――ブレットの母ヘレン・ハート――の“タオル投入”によるTKOというおまけまで用意されていた。  バックランドはそれから3日後、チャンピオンベルトを腰に巻いて思い出のマディソン・スクウェア・ガーデンのリングに上がり、“負傷欠場”のブレットの代打として登場したディーゼル(ケビン・ナッシュ)にわずか8秒で敗れ王座から転落した(1994年11月26日)。  バックランドは、かつてのイワン・コロフ、S・スタージャック、I・シークらと同じような“政権交代”のためのワンポイント・リリーフを演じたのだった。  バックランドはその後もWWEの全米ツアーに同行し、“レッスルマニア11”ではブレットとの再戦がラインナップされた(1995年4月2日=コネティカット州ハートフォード)。  ビンスとの関係については「意見の食いちがいもあったが、友人です」とバックランドはコメントしている。 ●PROFILE:ボブ・バックランドBob Backland 1949年8月14日、ミネソタ州プリンストン出身。1973年、デビュー。WWE世界ヘビー級王座通算3回保持。初来日は全日本プロレス(1974年=昭和49年7月)だったが、WWE在籍時代は新日本プロレスにレギュラー参戦。その後、第2次UWF、WAR、UWFインターナショナル、格闘探偵団バトラーツにも来日。得意技はアトミックドロップ、チキンウィング・フェースロック、投げっぱなしダブルアーム・スープレックス。WWF退団後のバックランドは、日本のリングでは“消耗品”になった。第2次UWFでの高田延彦とのシングルマッチは完敗(1988年12月22日=大阪)、翌年の船木誠勝とのシングルマッチ(1989年5月21日=東京ベイ)は船木のナゾの反則負け。1991年(平成3年)にはUWFインターナショナルに3回来日したが、高田に2連敗し、安生洋二とは不可解な試合を演じた。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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