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小説『孤独のグルメ』――第1回「冷たい雪の日は甘いカレーライスがほしくなる」

 久住昌之氏の原作と、谷口ジロー氏の静謐な作画の組み合わせで描かれるひとりめしの楽しみが共感を集め、現在累計80万部を突破した人気漫画『孤独のグルメ』。現在放送中のテレビドラマ『孤独のグルメ Season7』も好調だ。日刊SPA!では4月20日より『孤独のグルメ 望郷篇』と題して、小説篇の連載を開始する(隔週金曜日更新予定)。執筆は、『孤独のグルメ』の初代担当編集者である壹岐真也氏。漫画やドラマとはまた一味違う五郎の哀愁を味わってみてほしい。

【孤独のグルメ 望郷篇  第1回「冷たい雪の日は甘いカレーライスがほしくなる」 壹岐真也】


撮影/滝本淳助

東京S並区。午前8時のまぶしい景色。
ゆうべは大雪だった。
夜中に仕事場マンションの7階窓をあけて、窓枠に積った雪をひとつかみほお張った。キリキリッと奥歯に浸みた。おいしかった。
酒吞みの人なら、これをウイスキーのグラスにいれたら堪えられない味わいなんだろう。自分はアルコールが駄目なので、残りの雪を果汁100%のオレンジ・ジュースのコップにおとして、ぐっぐっと味わってみた。
窓を開けたら、暴力的な冷気がここぞとばかりに自分を襲った。
こりゃかなわない。
オレは、慌てて窓を閉じた。ほらほら、エアコン、エアコン。暖房の下に立って、しばらくジッとしていた。

2月の東京は、1年でいちばん忙しく、きれいな季節(とき)だ。
ゆうべは、確定申告やお得意様への請求書作成、ローン返済の勘定で、仕事場で一晩過ごした。なんだか擦り切れて殺伐として、鼻の孔や咽喉の奥までザラザラしたけれど、朝になって思いだしてみると、なかなかにおもしろくもあった。
ふふ。サラリーマンに向かず、もう何でもどうにでもなれ、と勢いで会社をやめた自分が、結局はこんなことを生業にしている。
輸入雑貨業もすっかり板についたということか。
いやいや、ここはと意地でもいいたいところ、だ。

K円寺7階マンションの仕事場を出て、エレベーターで下に降りた。
5階で杖をつき深緑色のニット・キャップをかぶったオバアサンがうつむいて乗ってきた。こういうときに自分は挨拶をしない。相手にしつれいな気がしてしまう。
一階の管理人室に頭を下げて、エントランスを出ると、雪が足許の路上の端、向いの小児科病院の屋根に白くかがやいていた。向いの医院の屋根をみる。こりゃ20㎝はある。
ひゅー。ふゅー。
風が、冷たい風が、唸っているじゃないか。
一瞬で、顔も肩も腿も、緊張で強ばった。
冬なんだ。いま、冬の真っ盛りなんだよ。雪、こんなに積ってるし。足滑りだし。
転ばないよう気をつけて、ザクザクッと駐車場にはいった。ボンネット、屋根の雪を手でかいて運転席に乗り込んだ。キィを差し込もうとして、オレはたいせつなことに気がついた。ゆうべは、コンビニのタマゴサンド一つだったのだ。
腹が減っている。オレは、腹が減っているんだ。
迷わず車の外に出た。
このまま運転して得意先の小岩までいくわけにはいかない。
途中で路上駐車するのもメンドくさい。

車をおりて、道脇に雪が片づけられてる舗道をあるく。青梅街道沿いで地下鉄の駅を越えてあるいた。
こんな朝は立ち蕎麦にきまっている。シンプルにきつね蕎麦に生玉子といきたい。うどんでもいいな。どっちでもいい。
オレは単純だ。
ゆうべ仕事を片づけながらかけっぱなしにしていたUKレゲエバンドの唄がふと浮かぶ。オレはあるきはじめた。

I´m just an ordinary man
I´m simple and easy going
 ※1

いいぞ。こんな冬の朝。きらいじゃない。
調子をつかみはじめて足取りも軽くなり、目当ての店の前に立った瞬間、衝撃がおそった。
閉じられたシャッターに貼り紙がある。


お客様各位
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
平素はきらくそばK店をご利用いただきまして誠にありがとうございます。

さて、弊店は、開店以来7年間にわたり皆様のご厚情をいただき今日まで営業を続けて参りましたが、諸般の事情により本年1月31日をもちまして閉店することとなりました。

お引き立てにあずかりましたお客様には大変申し訳なく存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

皆様のこれまでのご愛顧に心より感謝申し上げます。
きらくそば K店



オレは、A3サイズの紙にサインペンで丁寧に記された文字を、二度読んだ。
マジかよ。
なんでこうなるの?
オレは、もう一度、貼り紙の文句をジッと見つめ頭をひねった。それにしても、しっかりした文章じゃないか。字も丁寧できれいだ。心をこめて時間をかけている。それなりの、まっとうな大人の仕業と感じさせる。
あのオヤジ、いかにもヨコハマの黄金町辺りでギャンブルにしくじったような、浅黒く荒れた肌をした不機嫌な男だったのに。まったく、どこにどんな奴が潜んでいるか、判ったものじゃないな。
だが、待てよ、あのオヤジ、天ぷらをサービスしてくれたこともあったじゃないか。なんでそんな気になったのか、こっちはぜんぜん理由がわからないけれど。
「ホラ、ニイサン、熱いの一つ載っけておくね」
揚げたての春菊天だった。
オレは、仕事で得意先をしくじってダウンなときだったので、身に沁みた。
丼に盛られた蕎麦の上に、自分が注文した竹輪天と、春菊天がならんだ。
オレは、豪勢な気分になったもんだ。
「……アリガト」
「……」
マイケル・ダグラスにちょっと似たオヤジは表情を崩さず、大きな釜で後から来た客の蕎麦を茹ではじめた。オヤジとは、それ以上、会話をかわしたこともなかった。
どこ行ったのかね、オヤジ。ここの立ち蕎麦、好きだったのに。オレ、秘かに愛好してたんだよ(誰にも云ったことなかったけど)。この店には先週も来た。でもオヤジは何も云わなかった。オレを騙したの?

永遠の嘘をついてくれ
一度は夢をみさせてくれた君じゃないか
 ※2

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冷たい金属の匂いの風が…

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●SPA!創刊30周年イベント「孤独のグルメナイト」開催
5月18日(金) 19時~
出演予定/久住昌之、オカヤイヅミ、スクリーントーンズNANO[久住昌之(Vo,G) フクムラサトシ(Sax) Shake(Pia)]
当日1300円
⇒イベントページ

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