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小説『孤独のグルメ』――第4回「寿司屋の茶碗蒸しに火傷しながら浅い夢」

久住昌之氏の原作と、谷口ジロー氏の静謐な作画の組み合わせで描かれるひとりめしの楽しみが共感を集め、現在累計80万部を突破した人気漫画『孤独のグルメ』。現在放送中のテレビドラマ『孤独のグルメ Season7』も好調だ。日刊SPA!では『孤独のグルメ 望郷篇』と題して、小説篇の連載を開始(隔週金曜日更新予定)。執筆は、『孤独のグルメ』の初代担当編集者である壹岐真也氏。漫画やドラマとはまた一味違う五郎の哀愁を味わってみてほしい。

【孤独のグルメ 望郷篇  第4回「寿司屋の茶碗蒸しに火傷しながら浅い夢」 壹岐真也】


写真/滝本淳助

こんなニュースをみた。
画家のジョージア・オキーフは、訪れたハワイで植生するパイナップルの形態に取り憑かれて、毎日じっと観察をした。
だけど、彼女が実際に筆を執りその画を描きはじめたのは、3ヶ月後にニューヨークにもどってからのことだった。
オレは、数年前まで、京都には年に十回は行った。
町並みに深い興趣を感じたわけでもなかったし、西芳寺とか修学院離宮の形態に取り憑かれたわけでもなかった。気にいったのはせいぜい金閣寺と平等院くらいだった。どうも禅宗の庭とは肌が合わなかった。
何日間かきれいな高級ホテルに宿泊して、五条辺りの骨董屋を覗き、気が向くと時々雑貨の仕入れをした。昼前に有名な珈琲屋で苺ジャムのトーストとホットコーヒーで遅い朝食を済ませ(特に美味くはなかった)、映画館をはしごしたりして、夜までの時間を過ごした。
晩飯は、独りですっぽん屋の座敷に出かけたり、板前割烹の店で高価な料理を試したりした。
すっぽんは一人前2万円。割烹は1万5000円。
そして、また新幹線ののぞみで東京に帰ってくる。
あの頃のオレは、ボンヤリとしていた。おかしかった。

「ちょいと刈っていくか」
オレは出先の舗道で一旦来た道を立ち戻り、迷路みたいな通りの突き当たりにある1000円ヘアカットに入った。
店の外に出された幟の文句に惹かれてしまった。

ご来店ありがとうございます!
CUT HOUSE LOS ANGELSは 
超効率的なアメリカンスタイルのお店です
(平均約10分)


いいじゃないか。アメリカン。
(て、どんなのがアメリカンなのかわからないけど。英国式とかフレンチとかもあるのかな)。
オレは床屋が好きだ。
亡くなった大物俳優と、これも若死にした破天荒な漫才師が、毎日理髪店に顔を出し幾ばくかの時間を過ごす、とインタビューで語っていたのを雑誌で読んだことがある。オレは感心した。とても優雅で清潔な習慣だとおもった。
オレもできることなら毎日床屋に行きたい、とおもった。
でも、今の自分では時間と経済がゆるさない。
仕方なく、一週間に一度は隙を見て1000円カットの床屋を見つけて、どこでもいいから飛び込むことにした。空いていれば15分もあれば終るから気が楽だ。だけど、このウチはそれを(平均約10分)と謳っている。
試してみたくなった。
店に入ると、スマホを覗いていた女の子に奥の席に案内された。
20代前半くらいのカノジョは、首元にタオルを巻き、ササッとケープを留めてくれた。あれ、この子が切ってくれるのか。
鏡の脇に注意事項が貼ってある。

洗髪・ヒゲソリ(お肌に見えない無数の傷をつけ、感染症を起こす場合があるため)いたしません
スピーディで経済的で美しいをモットーにしております
基本的には切り直しをいたしておりませんのでご了承ください


髪は朝か夜にシャワーで洗う。髭は毎朝自分で剃る。問題はない。
「今日はどんなふうにいたしますか」
「このままで耳をぜんぶ出すまで切ってください。後ろはバリカンいらないです」
オレは応えて、目を瞑った。
ふっと気が遠くなった。

but you know I know when it’s a dream.
I think, er, No, I mean, er, Yes, but it’s all wrong.

それが夢だと ぼくが知っているとは きみもやはり知っている
ぼくは知っているつもりだ つまり AH,YES でもみんなちがうのだ
 ※1

あれ。オレはなぜか寿司屋のカウンターに凭れてる。
ここはS宿二丁目仲通りの、一度か二度来ただけの、でもとてもたいせつな、なつかしい店だ。
漆塗りの付け盤には薄色のガリが小盛りになっている。
「さて。何か、握りましょうか」と白い調理衣の大将が言う。
「ええ。……そう昔、こちらに鼻の頭をいつも赤くした板さんがいましたね」
「あぁ、キュウ、ですね」
「お元気ですか」
「あいつは十年くらい前に余所で店出したんですが、体壊しちゃってどうもね……お客さん、以前にもいらしたことがありましたか」
「二十年くらい前かな」
それは失礼致しました、と口の中で呟いて大将は付け場の陰に身を退いた。
その時、誰かがオレの肩をそっと叩いた。オレは後ろを見上げ、思わず低い声をあげた。
「父さん、いつ来たの」
「ずっと前からいたよ。おまえの背中をみてたんだ」
恰幅がよく、ロマンスグレー(?)で年よりずっと立派にみえる男は、静かに笑っていた。
カウンターの隣の席に落着き、大将に燗酒を注文する。
下戸のオレは、お茶をもらった。
「暮らしはどうなんだ」
「まぁ楽しく過ごしてるよ。いつでもやりたい仕事が目の前にあったから、ずいぶんいい方なんじゃないかな」
「そりゃずいぶんの幸甚だ」
「オトッチャンはここの店でよく飲んでたの?」
「ここの大将もキュウちゃんも、居心地よくしてくれるからな。さ、好きなもんにぎってもらいなさい」
目の前のガラス箱には、魚の切り身の数々が輝いている。
大将、それからなぜかキュウさんまでがいて、いつの間にか楽しそうに笑っているじゃないか。
キュウさんの、鼻の頭が赤い。昔みたいだ。
「じゃ小肌をにぎってください」
「はいよ」
「キュウちゃん、こっちには何か切って」
「どうされます、平目か鯛でも」
「あ、ボクにも平目を握ってください」
オレが割りこんだ。すっかり、あの時、父さんにはじめてこの店に連れてきてもらった大学の入学式の夜の自分に戻っていた。
付け盤に置かれた小肌と平目の握りを速攻でパクパクッと口に運ぶ。お酢のきいた肉の香りと、昆布でしめた平目の淡麗な味わい。
ん~美味い!
オトッチャンは嬉しそうに目を細めて猪口をかたむける。
「大将、すいませんけど、次から二貫ずつでください!」
「承知です。では何にしますか?」とキュウさんがニコニコと笑う。
猛烈に腹が空いてきた。
握ってもらえばもらうほど、アレコレ食べたくなる。
どうしたんだ。オレ。
鰈の品のいい甘さ。
毛抜きみたいので一本一本小骨を抜いてくれた、如何にも新鮮な鯵の歯ごたえ。
父さんが勧めてくれた、煮ハマ。へぇ。初めてだ。頬ばると、肉の厚みとツメのとろりとした香りが堪らないよ。
あぁお寿司ってこんなにおいしいんだァ。何かのお祝いとかで取る出前の桶でしか知らないものな。
「ゴローはこうしてカウンターで食べるの初めてだよな。うまいか? そうか。どんどん食べなさい。茶碗蒸しもらおうか」
「え? チャワンムシ? そんなのあるの?」
「大将、二つ頼むよ」
「へい」
若々しく大将が声を張る。
「キュウ、茶碗蒸し二丁!」
「はいよっ」
嬉しそうなキュウさん。
みんな、すっかりあの頃にもどっていた。
染付の青に赤い上絵の棒縞の茶碗が置かれた。これは映画でも見たことのある粋な磁器だな。女将さんがそっと蓋を開けてくれた。
ツルンとうっすら黄色の玉子液。海老と椎茸がちょっとだけ頭を覗かせ、上に三つ葉がそっと置かれてる。小匙ですくって舌上に載せると、火の塊!
「アチッ! ほがほがっ、熱熱熱ッ」
「ほらほら慌てるなよ」と父さん。
「坊っちゃん、大丈夫ですか?」と大将もキュウさんも破顔一笑だ。
「あんまり熱くってびっくりしちゃった」とオレも笑う。

人生捨てたもんじゃないよね
あっと驚く奇跡が起きる
あなたとどこかで愛し合える予感
 ※2

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ぷりぷりの海臭さが鼻をくすぐる赤貝

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