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小説『孤独のグルメ』――第4回「寿司屋の茶碗蒸しに火傷しながら浅い夢」



大将の勧めで、幾つか貝をいただく。
赤貝。う~んキレイだな。磯の香り。ぷりぷりの海臭さが鼻をくすぐる。
「鳥貝。江戸前です」
歯ごたえがいいな。これも美味しいや。
「青柳、いきますか」
「おねがいしますッ」
オレは完全に子どもに戻っていた。いや、父さんに初めてここに連れてきてもらった大学の入学式の夜。すごく嬉しくてはしゃいでしまった、子どもみたいな18歳の自分にだ。
オトッツァン、会いたかったよ。
「ふふ。ゴロー、穴子をもらってみるかい」とオトッツァンが優しく微笑んでくれる。
「うん。食べる食べる!」
付け盤に置かれた厚みある握りはシャリが見えないほどだ。
その芳醇な甘み。ほんわりと温かい肉身は―ほんとうに―口中で蕩けた。
オレは倖せだ。
すると、キュウさんが
「寿司ってのは、そんなにありがたがるもンじゃないんですよ」
と、隣りに立つ大将を気にしつつ、唇をゆがませてつぶやく。
「ま、下手味(げてみ)なもんでして。早すぎる走り物や無理な材料をもってきて、いたずらに珍奇なもんお出ししても仕方ないですから」
「おい、キュウ。おまえはもういいよ」
大将が制して、オトッツァンに頭を下げる。
キュウさんの姿が消えた。
「さて、いかがしましょ」
「そうだな。中トロにいこうか」
「へいへい。坊ちゃんも?」
「うんっ、お願いします!」
食べても食べても食べたくなる。
でも。トロの握りをほお張った父さんの影が薄くなる。
もう行っちゃうの?
いやだよ。
「大将、ボクにカッパ巻き!」
それが消滅するオトッツァンを引き留める術になるかのように、オレは声を挙げる。
父はそれに構わず、
「さて、と」と腰をあげる。
「もう行くの、まだなんにも話してないよ。ボクの仕事とか内装を作ったお店の話とか」
「父親なんてのは人の抜け殻みたいなもんだからな。聞いても仕様がないよ」
そして父さんが、消えた。
気づくと、大将もいなかった。
オレが指で挿んでたカッパ巻きももう消滅していた。
こんな町場の寿司屋でオレは何をやっていたのだろうか。

「ハイお客さん、後ろ確かめてください」
女の子の声で目を開くと、カノジョは鏡を開いてうなじと後ろ髪を見せてくれた。
オレはうなずいた。
ケープ、タオルを外されて立ち上がる。
10分かそこらしか経っていないのだよな。
表の舗道へ出て、ロングピースを咥える。おっとポケット灰皿をわすれちゃいかんな。

私は夢の中で或る失格をした。
――私は人生の中に劇を見る熱情を急激に失つた、
従つてさういふ能力をも。
 ※3

※1 THE BEATLES『STRAWBERRY FIELDS FOREVER』(訳・片岡義男)より
※2 AKB48『恋するフォーチュンクッキー』(作詞・秋元康、作曲・伊藤心太郎)より
※3 富永太郎『断片』より

(続く)

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