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小説『孤独のグルメ』――第5回「キャンバスのなかの坂道とハッブル望遠鏡が映したびびんば丼」

久住昌之氏の原作と、谷口ジロー氏の静謐な作画の組み合わせで描かれるひとりめしの楽しみが共感を集め、現在累計80万部を突破した人気漫画『孤独のグルメ』。現在放送中のテレビドラマ『孤独のグルメ Season7』も好調だ。日刊SPA!では『孤独のグルメ 望郷篇』と題して、小説篇の連載を開始(隔週金曜日更新予定)。執筆は、『孤独のグルメ』の初代担当編集者である壹岐真也氏。漫画やドラマとはまた一味違う五郎の哀愁を味わってみてほしい。

【孤独のグルメ 望郷篇 第5回「キャンバスのなかの坂道とハッブル望遠鏡が映したびびんば丼」 壹岐真也】


滝本氏PHジャズ喫茶マッチ箱 (3)

写真/滝本淳助

どうしても今度だけ手助けしてほしい、という年下のカレの喘ぐような頼みに
「もちろんだよ。何をすればいい?」
とオレは無造作に応えた。ちょっとした油断で、パリに送る数種類の装飾品の仕入れ、発送が滞ってしまったのだという。
パリで寿司祭りをかまそう、というジャポネかぶれの仕事仲間のカレは、人に弱みを見せるのをなにより嫌がる性質(たち)だった。オレはその手から注文書を奪い取った。
二週間もあれば注文書に記された商品は現地に届くだろう。大学を出て数年で自らを恃んで独立してしまったカレには酷だが、勘定はド高く付けることにした。
これで懲りれば、次から親御さんの懐をあてにせず、小さな雑品の仕入れから注意深く確認するようにもなるだろう。
手助けするといっても、オレは、日本にいて、知り合いの旦那を訪ねたりして、細かい仕入れの話をまとめただけだった。
こんな小仕事の相手になってくれたのは、30,40年前に、キャバレー経営で何度も東京の長者番付に名前が出たことのある、台湾系の居丈夫の達人だった。
オレが、勤めていた会社を退いて、しばらく自室に閉じこもり、退職金と失業保険だけでじっとしていた頃、オレに声をかけてくれた最初の人だった。
「イノガシラゴローくん、すこしアタシの仕事を手伝ってくれないかな。負担にならない範囲でいいから」といって、その一カ月後にはヴェネツィアへの買い付け仕事を言い渡された。
画を観たり、アート系の作家との付き合いはあったが、ビジネスとして家具、装飾品、内装品の取引をするのは初めてだった。
オレは判らないビジネスの手順にうろたえた。使えないイタリア語の作法に迷走した。
何がどうなっているのかサッパリ判らなかった。
二週間後、旅から東京の自室に戻ったとき、玄関口でオレはキャリーバッグを放り投げた。片づけを手伝いにきていた学生の甥が、驚いて悲鳴をあげた。
自分の無力さ。阿呆さ。教養のなさ。
そして、ビジネス交渉の立場を越えて心遣いをしてくれたヴェネツィア人の懐の深さ。人のありがたさ、かけがえのなさ。
どうしてこんなオレなどに声をかけてくれるんだ、と、小さな寒い部屋で、テーブルをこぶしで撃ち、デスクのPCを投げ飛ばした。
明け方。疲弊したオレは、もしできることならば、自分もまた、こうして次に来る新しい人のための役に立ちたい、継いでいきたい、と痛切に願っていた。
もう自分がどれだけ儲けを得るかではなかった。いろいろな生まれ育ちの人たちと、少しでも仕事を共有できて、それが日々の生業になっていけば、まんぞくだ、とおもった。
後日、なぜ自分なんかに、と問うたオレに居丈夫の達人は微笑んだ。
「立場が逆なら、君もボクとおんなじことをしただろう?」
そうして今、オレは時々達人と仕事をすることになった。
今日も早朝からO川町の雑ビルの一室に呼び出して、達人は次々に年代物の骨董を見せてくれた。
「このヴィクトリア朝ぽい額縁はいいですね」としか、オレは云えなかった。
ほかの色々は判らなかったし、どうにもピンとこなかった。
達人はオレのそんなシロウト丸出しの感想が嬉しいらしく、同席していた大学の先生やらのお追随を無視して笑っていた。
「あの世にいくことがあったら。チミにこれ、あげるよ」
昭和初期の田端あたりを描いた景色画に、オレはちっとも惹かれることもなかったので、
「それは、ご遠慮しておきます」と遮った。

I’ll never be your beast of burden
My back is broad but it’s a hurting
All I want is for you to make love to me
I’ll never be your beast of burden

俺は絶対に君の荷物持ちにはならない
俺の背中は広いけど、痛んでいる
俺は君に俺を愛して欲しいだけ
俺は絶対に君の荷物持ちにはならない
※1

オレは友だちは少ないけれど、人と付き合うのは嫌いじゃない。人に親切にするのも当たり前だ、と今では信じるようになった。
居丈夫の達人のおかげだ。
達人はそこの加減をわかってくれている。
ようするに、仕事をする相手としてはもっとも望ましい人、ということなのだろう。

早朝から始まった達人の秘事めいたコレクション開陳を拝見して、表へ出るともう昼になっていた。

駿河台下交差点の舗道の隅にイーゼルを立てて画を描いている女の子がいる。美大生なのか専門学校生なのか。脇に彼氏らしい長身の青年が立っている。
カノジョの白Tシャツと羽織ったデニムのエプロン、ぶかぶかのジーンズに油絵の具がこびりついている。パレットを指にはさんでペインティングナイフでキャンバスの油彩をこすっている。画筆は使っていない。
オレは気づかれないよう、そっと背後から近づいて覗いてみた。
駿河台下から御茶ノ水駅に向かう坂道の画。切り通しという趣向なのかな。
凄いな。でも、この天気で暑くないのかなぁ。
デジカメやスマホで古めいた建物や道端の猫の写真を撮ってあるいている若い人はよく見るけど、イーゼルまで立てて油彩画を描いている人を見るのはホント久しぶり。酔狂だけど、心地いいな。
肩まで髪を垂らした無精髯の青年が低く何かを唸っている。
女の子はナイフで画を削りながら、ふんふんと合いの手をいれ、坂道の灰色をこする。オレはそっと耳を寄せてみる。

この道行ったらどこへ行くちゅうの 知らなきゃまっすぐ行かれへん ※2

短い髪の女の子は、聞き飽きたという風に構わずにナイフでキャンバスに塗りたくった油絵の具を剥がしていく。いつも青年に言われている常套句なのかもしれない。面白げもなさそうに、合いの手の句を返す。

こうしてこうすりゃこうなるものと 知りつつこうしてこうなった ※3

オレはいつになく興味をかられ、キャンバスに向う女の子、その脇に立つ長髪無精髯の青年の後方から画の進み具合を眺めた。
これだけ、手近くカメラをもって写真を撮り、それをすぐにSNSにアップする人たちが多いのに、時間がかかる油彩の風景画なんて。どうしてやっているのだろう。
十五分ばかりそうしていただろうか。何もオレが訊けることはなかったけど、この日のオレは若い二人に好意をいだいたようだった。
「ね。あなたたちも困るだろうけど。今は昼飯時だ。J保町あたりは、安くておいしいカレーや中国料理も多い。画を眺めさせてもらったお礼に、お昼を御馳走させてくれないかな」
女の子は椅子から立ち上がらず、オレを見上げて、小さく、しかし断固とした口調でいった。
「いえ。結構です。きょうは家で卵とコンビーフ、それとチーズとハムのサンドウィッチを作ってきたんです。学校も近いので、あとでこの人と生協食堂で食べるんです」青年が、強めのカノジョの言葉を引き取った。
「おおきに。ありがとうございます。そんなこと、言うてもろうたの初めてや」
「そうか。うん。失礼しました。じゃオレは腹が減ったので、行くことにします」と言って、駿河台の坂の上を指さした
「その空の青と土の褐色は、とても勁いね。道路とビルディングと塀の坂道。”眺め”ってのは、やっぱり若い人が見るべきものなんだね」
オレは気障っぽく言って、二人と別れた。

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しかし。オレは腹が減っていた!

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