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小説『孤独のグルメ』望郷編――第9回「八十八円の湿ったハンバーガーで思い出す誇りと勘違い」

久住昌之氏の原作と、谷口ジロー氏の静謐な作画の組み合わせで描かれるひとりめしの楽しみが共感を集め、現在累計80万部を突破した人気漫画『孤独のグルメ』。日刊SPA!では『孤独のグルメ 望郷篇』と題して、小説篇を連載中(隔週金曜日更新予定)。執筆は、『孤独のグルメ』の初代担当編集者である壹岐真也氏。漫画やドラマとはまた一味違う五郎の哀愁を味わってみてほしい。

【孤独のグルメ 望郷篇 第9回「八十八円の湿ったハンバーガーで思い出す誇りと勘違い」 壹岐真也】


写真/滝本淳助

あの娘 帰っておいでと
流れ星にのせ そっと呼んでみた
だれも答えはしないよ
白い花が散るばかり
あああ とどかない夢だから
なおさら 淋しい淋しい
この胸よ
夜空 遠く果てしない
 ※1

朝からラジオで歌謡演歌はしんどいな。
民放ラジオはどうでもいい音楽を流し過ぎる。もっと地に足ついたニュースや時事談、芸談でじゅうぶんなのに。
夜から朝方にかけての台風の過ぎた町はいつもより広くおもえる。
街並みが一篇掃除された感じだ。
蝉が鳴いている。
なんだかとつぜん、夏の終りのことをおもってしまう。
ゆうべ、というか暁方、事務所で足をもつらせてたおれた。もう一週間近く、睡眠一、二時間の日がつづいていた。ほんの一瞬、気をうしなったのかもしれない。
今朝、ソファでめざめると、右の肋骨がひどくいたんだ。ヒビがはいったかもしれない。
だが今日はどうしても用事がある。医者にいっている時間はない、と焦った。
まずはシャワーを浴びようと洗面台の前で服をぬぐと、右の脇腹と肩、二の腕に醜い蒼痣ができている。
イヤになる。酔っぱらったことなどないのに。
とにかく水シャワーで汗を流し髪を洗った。
体を拭くと、後ろの肋骨の辺りが酷く痛む。
こりゃダメだ。
オレはあきらめて、馴染みのクリニックに立ち寄ることにした。

「これはぁ、幸い骨折はしてないけれど、たぶん酷い打撲だね」
医師の百浪は明るく云う。百浪とは大学時代に道場でよく組み手をした間柄だ。
「まさか、町のアンチャンともめたりしたんじゃないだろうね。だめだよ、ゴロー君はつよいんだから。ほら、こないだも、板橋の大山の方で……」
「うーん、ハンバーグ屋の店長さんを……」
あれは、まったく恥かしいことをした。おまけに分不相応な啖呵まできってしまった。

――モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあ ダメなんだ 独りで静かで豊かで…

店長に怒鳴られていた従業員の呉さん、困惑していた。そしてV1アームロックで腕を極めたオレを

――やめて! それ以上いけない

と静かに制したのだ。その時の、呉さんの、中心を失くしたようなうつろな顔を、オレはいまも覚えている。

「とにかく写真撮ってみようか」
一旦診察室を出て、前の長いすに腰かけると、すぐに名前を呼ばれた。細長い通路は両側にカーテンで仕切られたベッドが並び、奥にX線室があった。看護師の指示でベッドの足許のX線台に立つ。
「あの、シャツは脱がなくていいんですか」
「あぁ大丈夫ですよ。そのままで」
看護師が何気なくこたえる。
世の中はどんどん進歩しているんですよ、と教えられた感じ。
違う角度から何枚か撮って室を出る。
待合室でしばらく待つと、またすぐに百浪の診察室に呼ばれた。
ここのクリニックは、待ち時間が少なくてすむのがいい。
都心の大病院だと、予約してあっても、二時間、三時間と待たされることがある。オレはイライラする。受付嬢にむかって、いったいどうなってるんですか! と怒鳴ってしまったこともある。ふだんボンヤリのオレだが、実は内側のカンシャクをなんとか飼い慣らそうとしているのだ。

Sometimes I wonder
What I’m a gonna do
But there ain’t no cure
For the summertime blues

時々悩んじまうのさ
どうすんだ?って
だけど、特効薬なんてないんだ
おいらが抱える「夏の憂鬱」に効くヤツなんてさ
 ※2

「やっぱり、写真によく映っていないけど、微細なヒビがはいっているみたいだね」
「そうか」
「痛み止めと胃炎の抑止薬、コルセットを出すから一週間くらいしたらまた来てよ」
「情けないな」
「仕方ない。歳だよ。まぁ、無理しなさんな。ところで、最近は道場のほうには顔出してるの?」
「あぁ、いや、全然」
「時々はご機嫌伺いに行ったらいいよ」
「そうだね」
診察室を出て、廊下のカーテンで仕切られたスペースに案内されると、整形外科の若い担当医がすでに待ちかまえていた。紙箱から畳まれたコルセットを出して開き、鎮痛消炎剤と書かれたビニールの袋を破って中から一枚取り出した。
「井之頭さんはこうしたものは馴れてらっしゃいますよね。一応、着け方をご説明しますしようか」
「いや、大丈夫でしょう」
「では、まず一枚お貼りしておきます」
シャツを脱ぎ、背中を向けると、若い担当医が声をあげた。
「うおぅ。さすがにいい体をしてますねえ」
黙っていると、テープを背中の脇にはり、コルセットを当て、ぎゅぎゅぎゅっと締めつける。その感触が妙になつかしくおもわれた。
大学時代、道場のスパーリングではしょっちゅう怪我をした。
関節技で靭帯をいためたり骨折したことも何度かある。

あの頃、どうしてあんなに格闘伎に、プロレスに夢中になったのだろう。
一九九五年十月九日。東京ドーム。UWFインターと新日本プロレスの対抗戦メインイベント。高田延彦は武藤敬司に、よりにもよってプロレスの旧式の決め技である四の字固めで苦杯を喫した。若くて金のないオレたちは、帰りに水道橋のハンバーガー屋で泣いた。
九七年の東京ドームで高田はまた、ヒクソン・グレイシーの前で、おじけづいて腰をひき、まったく何もできないまま、腕ひしぎ逆十字でタップ負け。オレたちは、この日も、マックでバカ喰いしながら泣いた。
二〇〇〇年五月。この日の東京ドームでは船木誠勝がヒクソンのチョークスリーパーで失神。入場時の気合いの入り過ぎた着物姿と携えた日本刀が悲しかった。もちろん、オレたちはハンバーガーにかぶりつきながら号泣した。
オレにとって、東京ドームはジャイアンツを見物する気楽で愉しい空間ではなかった。
そこは、格闘伎とプロレスの誇りと勘違いを見せつけられる苦しい場所だった。
だが。とふと考える。あの場所で、いい思いもしたじゃないか、と。
同じ〇〇年五月には、桜庭和志が笑劇じみた九十分を越える闘いの末に、ホイス・グレイシーに試合を放棄させた。
〇二年の高田延彦の引退試合。頭を丸めて対戦相手をつとめた田村潔司は、わずか一分たらずで、暗い顔のままハイキックでこの先輩を昏倒させたのだった。彼は、レフェリーが勝利者の手を掲げようとするのを断った。
プロレスラーは時々、なんともいえない複雑な表情をする。その間合いの悪さ、あいまいな時間を共有したくて、オレは会場に足をはこんだものだった。

危険ドラッグは買わない・使わない・かかわらない

80歳までに約3人に1人がかかる身近な病気です
帯状疱疹
ワクチンで予防できる感染症です


受付前で貼り紙をボンヤリ眺めながら精算と薬をまっていると、一人の若い女性が向いに腰かけている。
紺のジャケットに薄茶のパンツを身につけている。ふとみると、胸に「研修中」のバッジ。膝のうえに銀行名の入った「コンシェルジュ読本」というファイルを乗せている。どうやら仕事の途中で抜け出してきたようだ。

伏し目がちの細面の顔の肌は、二十歳過ぎにしては荒れてメイクでかくせないほど乾きすぎている。この医院は皮膚病も扱っているから、どこか、そちらのほうの具合がわるいのだろうか。ずいぶん消耗しているようにみえる。そういえば、銀行員の人って、個人になるとお金の匂いのしない人がほとんどだな。
同じくらいの年の頃、オレは道場通いとシリアスなプロレス観戦にばかりうつつを抜かしていた。結局、せっかく就職したのに三年ほどで会社を退き、自分で輸入雑貨商などをはじめて今に至る。
ーーま。がんばりなよ、ね。とオレは口の中でつぶやく。

パーティーも終わり
疲れてしまった
そんなとき 君が近づいてくるのがわかった
どこからか
沢山のことが伝わってきた それも一瞬で
話したこともなく 君を知っているわけでもないのに
 ※3

一週間分の薬をもらい、精算を済ませて外へ出る。かたく締められたコルセットが歩くのに厄介だ。
空が青い。でも、こないだうちとは異なる色あいだ。もう酷暑、とはいえない。
秋の空がどんな色彩、雲模様の季節なのか、一年たったらもう忘れてしまったけれど。
駅へ向かう道すがら、コンビニでカルピス・ウォーターを買おうと入り、入口のまん前に竹編みの籠がおいてあって、そこに拳大の黄色い紙包みが大量につんである。
えっ。これがハンバーガーなの? しかも一個一〇八円って…。よく見ると、その上に「税込価格より20円引き」の表示が貼ってある。
ポップが立てられていて、そこには「電子レンジで10秒チン!」とある。
「とろ~りとしたチーズのハンバーガー」の文字も。
オレは何も考えず、三個採り上げてレジに廻り、チンしてもらった。
路上に立ったまま、かぶりつく。まずはバンズの小麦粉とトマトケチャップが匂い立つ。さらに溶けたチーズの柔らかな舌触り。
妙に旨いな、八十八円ハンバーガー。
さすがにパンが少しベチョベチョしているけど、これもまた良し。う~ん。一切れ、ほんの薄い一切れでいいから、ここにピクルスがあったらもう充分なのに。次々と、オレは三個のハンバーガーを胃袋におさめた。
子どものころ、なんとかハンバーガーを腹一杯食べてみたい、と激烈に願ったものだった。細長くてペラペラのフライドポテトも大好きだった。
この頃は、本格的な、牛肉を贅沢に使った店もあちらこちらで見かけるけど、オレはそんなに興味も食欲も沸かない。
ハンバーガーは、安っぽいにかぎる。
そういえば日本で初めて発売した当時のカップ麺は、若い男女が歩行者天国を闊歩しながら啜る、っていう宣伝をしていた。立ち食い推奨のカップ麺。なんだかオカシイ。

あきれ顔の店員に構わず、オレは八十八円ハンバーガー連続三個喰いを果たし、包み紙を入口脇のゴミ箱に捨てて歩き始めた。
胃が膨れてコルセットが少々きつくなった。
近々、ほんとに旨いものを一遍食べんといかんなぁ、と思った。

※1 『夜空』(歌・五木ひろし 詞・山口洋子)
※2 『Summertime Blues』 (作詞・CAPEHART JERRY N 作曲・COCHRAN EDDIE)
※3 『AVALON』(Roxy Music 対訳はコチラを参照しました)
(続く)

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