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なぜどうでもいい些細なことが口論になるのか。人間を動かす「思念」のヒミツ



「念」は周囲に伝染する


 もちろん、これはポジティブなことばかりではありません。何となくむしゃくしゃしていたり、イライラしていたりすると、それが周囲に伝染します。すると些細な言葉が「売り言葉に買い言葉」になって口論に発展します。別に怪我をしたわけでもないのに、肩がぶつかっただけで喧嘩をふっかけるのは馬鹿のすることです。しかし、そんな馬鹿げた出来事が現実には溢れています。それは頭がいいとか悪いといった問題ではなく、心根の問題です。

 また時には相手に恨まれる「怨念」と呼ばれるような状態もあります。そういう時は大抵、「自分はあの人に恨まれているな」と自覚があります。その罪悪感によって、私たちは萎縮してしまいます。もちろんこれが本当のことなのか、確かめる術はありません。ただ実際に恨まれているにしろ、自分だけの一人相撲にしろ、その想念によって自分の行動が歪んでしまうのは間違いありません。人は事実よりも、自らの思念に従っています。

 ただ人間の心は不思議なもので、動く前や話す前から相手やその場の雰囲気、つまりお互いの思念をある程度まで読み取っています。誰でも「今日は機嫌が悪そうだからそっとしておこう」と空気を読んだことがあると思います。しかし空気を読むというレベルで終わらせるのは得策ではありません。相手に対する想念、そしてその土台となる自分の信念を把握すれば、思考レベルでは理屈が通らない人間関係を、本当の意味で理解できるようになります。

 その瞬間瞬間に「思った」「感じた」だけでは、自分の信念や想念を把握したことにはなりません。内容のスケールにもよりますが、ある程度時間をおいて、「ああ、あの時自分はこう思ったのだ」と振り返るからこそ、思念に人生を変えるような影響力が生まれて自己啓発になります。それが例えば親しい者との死別といった深刻なものならば、半年や一年、あるいはもっとかかる場合もあるでしょう。だからこそ「一年、あるいは三年間は喪に服す」という文化が私たちにはあるのです。

 現代人はただひたすら前を向いて、走らせ続けるように仕向けられています。しかし、その前とは一体どの方向なのでしょう。その答えはどこかの誰かや理屈で「こっちが前」と決められるのではありません。自分が生きてきた過去に作られた信念によってこそ決まります。自分にどんなことを起きたかという事実だけでなく、それについてどう思ったのかを記録する「メンタルレコーディング」によって明らかになります。私たちはもっと自分に向き合わなくてはなりません。感謝の念、尊敬の念、自責の念、慚愧の念、まずは手始めに今日自分がどんな思念を抱いたのかを振り返ってみてください。

佐々木

コーチャー。自己啓発とビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツ「ボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ「星を辿る
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