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小説『孤独のグルメ』望郷篇――第10回「大食漢の混乱と“食べない男”の清潔」

久住昌之氏の原作と、谷口ジロー氏の静謐な作画の組み合わせで描かれるひとりめしの楽しみが共感を集め、現在累計80万部を突破した人気漫画『孤独のグルメ』。日刊SPA!では『孤独のグルメ 望郷篇』と題して、小説篇を連載中(隔週金曜日更新予定)。執筆は、『孤独のグルメ』の初代担当編集者である壹岐真也氏。漫画やドラマとはまた一味違う五郎の哀愁を味わってみてほしい。

【孤独のグルメ 望郷篇 第10回「大食漢の混乱と“食べない男”の清潔」 壹岐真也】


写真/滝本淳助

世話になっている偉丈夫の達人の用件で、十年ほど前にニューヨークに出かけたときだった。
ご褒美、お疲れ的な意味合いのある出張で、用事を済ませてもまだ帰国まで丸一日半あった。
改築前のヤンキースタジアムで松井秀喜の試合を見て、A・ロッドのホームランの打球の勢いに驚愕したり(場外でジータ、A・ロッドと同等扱いに並べてマツイのユニフォームを売っていたのにはビックリした)、連れの人気俳優(現地の骨董屋で宣伝写真を撮ったりしたので、経費で彼はビジネスクラスに乗った)が、ソーホーでヘンリー・ダーガーの大きな画を二枚衝動買いするのに呆気にとられた。画廊の若い主人夫婦は感激して、高価なクリュグを抜いた。
それからオレたちは9・11の跡地を見物して、セントラルパーク内にあるレストランで昼食を摂った。メニューがよくわからないので、冷たいコンソメとウェルダンのフィレ・ステーキを注文した。
「ここはね。ゴローさん、レノンが息子のためにバーステー・パーティをひらいた店なんですよ」
と現地での通訳をたのんだベンジャミン伊藤さんがいった。
レストランは天井が高くてシャンデリアが飾ってあった。おしゃれなニューヨーカーが前世紀の欧州を気取って楽しむような、映画みたいな造作の店だった(あとから知ったのだが、実際、数本の映画のロケに使われたという)。
「あぁ、そういえば住んでたアパートも近いんだよね」と関心のないオレは応えた。
「ま、亡くなってずいぶんにもなるから観光名所になってるんだろうね」
「見てみたいな。そのアパート」
人気俳優がポツリとつぶやくと、ベンジャミンはすぐに反応した。
「じゃ食事を終えたら腹ごなしに周っていきましょう」
「なんというアパートだったっけ」と仕方なくオレが訊いた。
「ダコタアパート」
と人気俳優は、掴んでいたグリルハンバーガーを皿におろして、添え物のブロッコリーやフレンチポテト、ほうれん草のクリーム煮に目を落としたまま言った。
「さすがによくご存じですね」
とオレはお世辞をいって、ステーキにとりかかった。
ステーキはめちゃくちゃ旨かった。
「これ、もう一枚もらってもいいですかね」とオレは訊いた。
「もちろん。チェックはそちらがされるんだし」とベンジャミンが笑った。
「じゃぁ今度はレアで」
「井之頭さんはほんとうによく食べるね」と人気俳優が無表情にいった。
前夜も、オレたちはハーレムの店でステーキを食べたのだった。
後ろのテーブルにルー・リードとローリー・アンダーソンの夫婦がきていて、気づいた人気俳優が
「井之頭さん、写真撮りなよ」
とけしかけた。
「いやいや迷惑でショ」
とオレは一旦断ったが、我慢できず、先に店を出た二人を追いかけ玄関の外で
「may I take pictures of you?」と尋ねた。
ルー・リードはほんの一瞬、オレの顔を見つめ、そして
「No.」といった。
「I’m sorry」
そりゃそうだよな、とオレは納得した。
「ゆんべも、井之頭さんはステーキをお替りをしたね」と人気俳優。
「1ポンドのリブロースとサーロインの2枚、でしたね」とベンジャミン。
オレは堪らずに言挙げする。
「オレを、大食漢だと思わないでくださいよ」
あれ?という顔で人気俳優と通訳がこちらを見る。
--オレは毎日働いて働いて、腹をへらせてるだけなんです、とオレはつぶやく。
「井之頭君は、美食の好事家で、しかも嫌味のないところがよかったんだけどな」と人気俳優。
「そんなふうにしてオレを遠ざけないでくださいよ」
とオレはいう。
「でも井之頭君の食欲は時々尋常じゃないよ」
「ほんとに好きなのはどんなものなんですか」
「オレはバルザックでもロッシーニでもありませんよ。ただの、手のかかった粗食をおいしがる、輸入雑貨商の中年野郎です」
人気俳優が、へへへ、と低い笑いを漏らした。
オレは初めてのニューヨークで、あからさまにこんがらがっていた。

僕は何でも思ひ出します
僕は何でも思ひ出します
でも、わけて思ひ出すことは

わけても思ひ出すことは……
--いいえ、もうもう言へません
決して、それは、言はないでせう
※1

秋の薄暮の日。
オレは生まれ育った町に来ていた。打合せの都合だった。
JRの快速線が土日には停車しないこの町には二軒の中華屋、ラーメン屋がある。
いやいや。数えたらきっと五十軒くらいはあるのだろうけど。そのほとんどはオレとは縁のないお店の話だから。
ラーメンの聖地といわれる西東京の果てで、オレは育った。
関東大震災と先の大戦の空襲を避けて、東から越してきた勤め人家族が草藪、萱原(かやはら)、薄原(すすきはら)、樟(くぬぎ)、楢(なら)、欅(けやき)などの雑木林や、麦畑・田んぼと共生するようにささやかな生活を営みはじめた町だ。
幼稚園から区立の小・中学校までの同級生は、だいたいおんなじような暮らしぶりをしていた。父親が月給取りの会社勤めで、母親は専業主婦。祖父母と同居している者も少なくなかった。なぜか二、三歳上の兄貴か姉がいて、その彼らもおなじく同学年なのだった(親たちの家族計画、だったのだろうか)。
オレたちが小学生のころに、そうした同級生の二、三の家族で夏や秋に一緒に旅行にいったこともある。伊東や那須、一度長野のどこだかにもいったな。そのときは、ずっとこんな付き合いがつづいていくのだろう、とおもっていた。
中学にはいると、同じ家庭教師について週2回、駅の向こうまで自転車で数学を習いにかよった。センセイはR教大学の学生だったけど、少し変わった人で、オレたちにマイルス・デイヴィスやソニー・ロリンズのLPを次から次へと聞かしてくれた。あげくが、サンタナだった。「Ⅲ」が最高だと、勝手にレコードをかけて悦に入っていた。
オレたちは13か14歳。レベッカやマイケル・ジャクソンに耽っているころだった。
それから、みんな、別々の高校にすすんだ。
結局、あんまり会わなくなった。

Everybody had a hard year
Everybody had a good time
Everybody had a wet dream
Everybody saw the sunshine

誰もがつらかったし
誰もが楽しかった
誰もが夢精した
誰もが陽の照るのを見た

Oh Yeah Oh Yeah Oh Yeah
Oh Yeah Oh Yeah Oh Yeah
 ※2

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布留(ふる)の店は八幡神社の通りを脇に抜けた静かな住宅街にある。

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