エンタメ

小説『孤独のグルメ』――第12回「ハロウィンのアリスと、底知れない沖縄のヤファジューシー」

久住昌之氏の原作と、谷口ジロー氏の静謐な作画の組み合わせで描かれるひとりめしの楽しみが共感を集め、現在累計80万部を突破した人気漫画『孤独のグルメ』。日刊SPA!では『孤独のグルメ 望郷篇』と題して、小説篇を連載中(隔週金曜日更新予定)。執筆は、『孤独のグルメ』の初代担当編集者である壹岐真也氏。漫画やドラマとはまた一味違う五郎の哀愁を味わってみてほしい。

【孤独のグルメ 望郷篇 第12回「ハロウィンのアリスと、底知れない沖縄のヤファジューシー」 壹岐真也】


写真提供:ばんない堂(098free.com)

地下鉄の階段をあがると、凄いことになっている。
山羊か鹿とおんなじくらいの背丈のド派手な子どもたちが、アッチコッチで群れをなして、立ち止まりはしゃいでいる。
海賊や白雪姫やエプロンドレスやドラゴンボールやマリオの扮装をした幼稚園、せいぜい小学校低学年の子どもたちが嬌声をあげている。それぞれの背中に手をかけて腰をかがめた若いお母さん。本人も猫の耳をつけたり、顔を白くぬっている人もいる。父親は、ひとりもいない。平日の午後なのだから仕方がないのか。それにしてもお母さんってのはえらい、とあらためておもう。
きょうはハロウィンの本番日、なんだな。
前の夜に渋谷で若い奴らが調子にのって軽トラックをひっくり返したというニュースをみた。なんだか昔の中南米の暴動映像をみている気がした。この国、似てきているのかな。テレビでは「狂騒は心の貧困」とかいってたけど、ほんとうなんだろうか。

子どもに附いている母親は、みんな我先にと先頭にたって、飴やベーグル菓子をくばる商店にならんでいる。キャァキャァとスマホで自分と子どもを自撮りしている。
へぇ。楽しそうだな。
可愛いな。
母親も子どもも、賢そうな顔をしている。
みんな、この瞬間を、何日も前から知恵を絞って準備して、真剣に謳歌しようとしているんだ。フルーガルfrugalなお祭りなんだ。
きのうの渋谷や大阪ミナミでの乱痴気騒ぎのニュースは、こんなハロウィンとはぜんぜん縁もゆかりもないんだろうな、と感心する。
オレは、不思議の国のアリスに扮した女の子のウィッグの金髪に掌をのせようとした。お母さんがすぐに、物言わず、やや警戒するようにオレの顔をみた。口元の微笑は曖昧だが、消えてはいなかった。
オレはすぐに手を引っ込めて、
「お祝いを何かしてあげたいですね」とだけ言い、軽く会釈してその場をはなれた。

I had a dream crazy dream
Anything I wanted to know
Any place I needed to go.

Hear my song sing along
Any little song that you know
Everything that’s small has to grow

俺には夢があった……狂った夢が
知るためには何だって欲しかった
必要があればどこへでも行った

俺の歌を聴いている……一緒に歌う
どんなささやかな歌もそれを君は知っている
なんだって小さいものから育つものさ
 ※1

喧噪の狭い商店街をぬけて北沢へ向かうバス通りをあるく。
通り沿いに儀保(ぎぼ)龍江さんの新しい店舗「運玉森(うんたまもー)」がある。とはいっても、まだ営業しているわけではない。新改装中だ。
還暦をとうに過ぎた龍江さんは、渡嘉敷出身で新宿三丁目に出て二十数年。十五、六年前からカウンターだけのバーを始めたのだけど、こんど、三宿に引っ越しをして少し生活圏を広くしたい、といった。
龍江さんの新宿の店では、カウンターの向いの棚に、大量の70年代を中心としたロックのアナログ盤が用意されていた。それから、80年代以降のアイドルのシングルなど。
新しい店はまだ内装工事がはじまったばかりだが、龍江さんは年内オープンをめざしている。白木の生板が、コンクリート剥き出しの壁にたてかけてある。
龍江さんは、オレによくしてくれた。
深夜に、のまないオレが訪ねても、カルピスウォーターを冷蔵庫で冷やしておいて、よく煮込んだポークシチューやランチョンミートと玉葱のチャンプルーでむかえてくれた。平皿に、なぜかいつも炊き立ての、白く輝く熱々のご飯を盛ってだしてくれた。それと、みそ汁。しじみだったり、ほうれん草だったり、豚汁だったり。
龍江さんは、この新しい店に、アフリカのアサメラ材で一枚板カウンターを作り(しかも割れ節がはいったものを望んだ)、手製のビーチ材のダブルチェアーとアームチェアを各二脚おきたい、といってきた。かなり高価な希望だ。
それは店のスペース、環境、そして予算からいってふさわしくないかもしれませんよ、とオレは依頼のメールをうけてすぐに返信した。
龍江さんの返事。

「商売人(やまとんちゅ)は嫌だね。人の夢まで盗むんだから」

オレは慌てて詫びをいれ、今日、再度の打ち合わせにかけつけたのだった。
龍江さんは、そんな事前のいきさつなど忘れたように、一転してこの日は機嫌よく、新しい店への膨らむ想いを話してくれた。
「できるだけお客さんが気持ちと体を休められる店にしたいんよ。そこで食べてもらえるなら、何を食べたとか、どんな味だったとか……、この歳になると、なんくるないさ」
「そうですか……ま、がんばっぺ。て、オレがいえた義理じゃないけど」
オレはできるだけのことをしてみよう、とあらためて気を引き締めた。
「近くにウチナーの料理屋があるんだけど、結構まーさんどー(おいしいよー)」
龍江さんはそういって、オレを送り出した。

龍江さんの新店舗を出てバス通りを北沢のほうへあるく。
たしかに、腹が減っていた。
ただ、きょうはなぜか、ヘンなものが食べたかった。
それは、紅生姜とラッキョだ。
でも、それだけじゃこの空腹を満足させることはできない。カレーや串かつという気分でもない。
通り沿いの雑居ビルに材木組みの看板を見つけた。
沖縄料理。店名「ちぐわーさー」。
龍江さんがいっていたのは、ここのことか。龍江さんのうちなーぐち、沖縄言葉は、よくわかんないんだけど。
とにかく龍江さんが推してくれたんだ、ここにしよう。オレには密かな狙いもあった。
狭い階段を二階にあがると、これも木製の分厚い扉。ひらくと「めんそーれー、いらっしゃいませー!」の声がかかる。
こういう店で、沖縄言葉使われると照れちゃうんだけど…。
案内されるままに四人卓に落ち着く。ランチタイムを過ぎているからか、客数は少ない。左斜め前に、作業服の二人づれ。解体業とかなのかな。ニッカポッカが土埃とペンキで汚れて恰好いい。二人は周囲をはばからず大声で話をしている。
「『おまえ最近変わったナァ。目の色がちがうよ』とか言われるんッスよ」
「オマエんとこ、オヤッサンさんと二人ぐらしだよな」
「喜んでますよ」
と会話しながら、麺の丼と、セットなのだろうラフテーかソーキの丼飯をかきこんでいる。日灼けた指が骨ばっていて、爪が塗料で汚れている。そういえば、このあたりも、四六時中、掘ったり埋めたり、解体したり建てたりしているものな。上下水道もガスも電気も、いったい何やってるんだろう。
その向こうのボックス席では、一見してそれとわかるような、細面だったりタルんでいたりの喧嘩弱そうな中年男二人が、太めで黒服の女性一人に、卓に紙束をつんでボソボソ説教されている。
オレは無視して、出されたメニューをながめる。あるある、ありますなー。
スーチーカー。ポーク玉子。らふてー。焼きソーキ。ゴーヤちゃんぷるー……。
オレの狙いは、と。
「すみません。島らっきょうのアンダンスー付き。麩ちゃんぷるー」
それでここからがメイン、というか主食となる。
「ソーキそばと、ヤファジューシー!」
あ、これもいこう。
「アーサの天ぷら‼」

初めに島らっきょうがきた。長矩形の皿の隅にアンダンスーがたっぷりそえられてある。嬉しいなぁ。アンダンスーは、豚三昧肉と味噌、砂糖、みりん、酒を弱火でじっくりと練りあげて作った油みそ(ジブンで作ろうとして失敗したことがあるから、こんなこと知ってる)。この味噌がたまらないんだ。ラッキョには、やや厚めのカツ節がかけられている。これ、削りたてだな。
島らっきょうは、みんな泡盛とぴったりだというけれど、お酒ののめないオレも、アンダンスーをからませて齧るのは堪らない楽しみだ。
この店を、龍江さんが勧めた意味が分かる気がした。

アーサの天ぷらと麩ちゃんぷるーが一緒に運ばれる。
麩とニラともやしを炒めた皿は、意外に上品で、後をひかない味つけだ。昔なら肉とゴーヤのちゃんぷるーを頼むところだけど、さいきんのオレは、この麩という実在に惹かれてしまう。焼き麩をすき焼きにいれても、とてもおいしい。周りの旨味を静謐に引き受けて、結局はオノレの味としてしまうその控えめでしかも狡知に長けたニクイ奴。
目にもあざやかな緑の天ぷら。アーサって、海藻らしいんだけど、ほのかな潮の香りがつたわってくる。拳半分くらいの大きさのが五つもある。歯ごたえはなく、ふんわりとした味わい。オレは、これを沖縄の黒糖を入れた甘口醤油にすこしつける。天ぷらは塩で味わってください、なんて、無粋なオレには向かないし通好みのしぐさ。

龍江さんは、若いころバンドをやっていた。
コンディション・グリーンや紫のコピーでベースを弾いていた、と。どちらも聞いたことはないけれど、沖縄出身のハードロック・オリジンだったらしい。
数年前の秋、日比谷の野音にウシャコダの再結成ライブを見物にいった。帰りに、菊の品評会を覗きたいというので湯島に付き合い、最後は行きつけだという恵比寿のちりとり鍋につれていってもらった。
龍江さんは甲斐甲斐しくホルモンを焼き、ニラ、もやしを焼き、キャベツを焼き、オレたちの皿にとりわけてくれた。
「かめーかめー(食べなさい食べなさい)」
と、このときも沖縄言葉、うちなーぐちでジブンをふるい立たせるように景気をつけていた。龍江さんは厳しい時期だった。

ヤファジューシーとソーキそばが出される。
ソーキそばは、この店では普通麺と茹で麺の二種類があるという。
壁に手書きの貼り紙で「なにもご註文がない場合は、当店では茹で麺をださせていただいています」と書かれてあったが、オレは沖縄で食べたことのある麺を味わいたいので普通麺を頼んだ。乾麺だ。
丼には、豚の骨付き肉とカマボコ。刻んだ青ネギ。
ここに卓の土瓶から紅生姜をたっぷりと乗せる。出汁が赤く滲む。
これで〈ラッキョと紅生姜〉というオレの狙いは完遂ダ。
やや黄色い太めのちぢれ麺は、表面が固く、舌の上で滑らない。このツルツルといかないところがいいんだよな。汁は、鰹の味が強く、その底にうっすらと昆布がひかえている。
そして、このヤファジューシーがきれいだ。真白い雑炊にちりばめられた緑の葉はヨモギだ。そして真ん中に生卵がプルンとひとつ。やわらかく煮込んだご飯は鰹の出汁がきいている。卵をまぜる。
ジューシーはこんな雑炊風と、あと炊込みのクファジューシーがあるんだけど、実はオレは炊き込みがほんとは好きなんだ。ほんのりとした鰹と昆布の出汁と細かくした豚、椎茸やニンジン、ひじきがほんとに堪らない。そばと、セットで出してくれる茶碗一杯の量がちょうどいい。

沖縄の料理っておいしい。
おいしいんだけど、どこか骨格、体幹がつかめない。ただ、底の知れない、中心のない、深さをかんじる。その意味では京料理と通底するものがあるのかな。
ウチナー料理と京料理が似ている、なんていったら怒られるか。
でも、肝腎なのは出汁っていうことなのだろうな。
沖縄なら、鰹、豚骨、昆布。それからイリコ。
オレはこの沖縄の料理をやさしい味、とはいわない。癒される、とはいえない。こちらの口腔、舌の味蕾から喉、胃の腑に滲みて、あげくは背筋をしゃんとさせる。
それはいつか会ったことがある、品のいいオバアチャンの昔話みたいな味、だ。

赤絵呉須色の一対のミニシーサーをレジ脇で買った。龍江さんに似ているからだった。
姪の赤ん坊の枕元においてもらえないかな。渡せるのがいつになるかわからないけど。あんまり喜んでくれないかな。
かといって、ハロウィンの、不思議の国のアリスに渡すわけにもいかない。
さて。事務所があまりに殺風景だから、花でも買ってかえろう。この時節だと、十日の菊も、いいかもしれないな。

Now I’m singing all my songs to the girl who won my heart
She is only three years old
And it’s a real fine way to start.

いま、ぼくは自分の歌のすべてを
ぼくの心を勝ちとった女の子のために歌ってるんだ
彼女はたった3歳なんだ
そして、これこそが出発するには実に素晴らしいやりかたなんだ



※1 Led Zeppelin「The song remains the same」
(対訳はコチラを参照しました)
※2 Led Zeppelin「The ocean」
(対訳はコチラを参照しました)

(続く)


孤独のグルメ2

男が一人で淡々とメシを食う姿を描いた人気ハードボイルド・グルメマンガ

●第2巻の第1話を無料公開中

孤独のグルメ 巡礼ガイド3

「孤独のグルメ」ファン必携のガイド本の第3弾が登場! テレビ版Season5~6に登場した名店を紹介。ファンであれば、どこから読んでも楽しめるバイブルです。


ハッシュタグ




おすすめ記事