仕事

自分の実力を勘違いして大手企業から独立。転落した元エリートたち

転落

必要以上に燃えてしまい、現状が見えなくなっていた…

 かつて大手新聞社記者として活躍したものの、現在は東北地方の小さな新聞社で働く長谷川さん(40代)も「勘違い」をしてしまった一人。 「俺は正義、真実を暴ける人間、なんて思ってましたね」  大手新聞社在籍時は、関西本社や東京本社で府政都政、警察や司法を担当。部署違いの経済ネタをすっぱ抜いたこともある。そんな長谷川さんのターニングポイントとなったのは「3・11」の東日本大震災だった。 「国や自治体が、様々なことを隠蔽しているのではないか。当時はそんな空気感がありました。東北地方の自治体が不都合な事実を隠蔽しているという読者からの“タレコミ”をもとに取材をして記事を出そうとしたところ、上司から『待った』がかかりました。マスコミが腐っていては、この国はよくならない。真実を書く、伝えるにはフリーでやるしかないと、鼻息荒く会社と大喧嘩して辞めることになったのですが……」  長谷川さんは退社後、フリー記者となったが、程なくしてかつての同僚から入った連絡に耳を疑った。 「タレコミをしてきた読者が、実は私をハメようとしていたらしいのです。振り返ってみると、正義感が先走り、物事を冷静に見ることができなくなっていたのでしょう」  こうしていっきに自信を無くした長谷川さん。さらに追い打ちをかけたのが、かつて懇意だった政治家や役人、ジャーナリストまでが誰も相手にしてくれない、という現実。これまではタレコミを含む様々な情報が半ば自動的に長谷川さんにもたらされていたが、こちらからいくら頼み込んでも、情報を流してくれる人がほとんどいなくなってしまったのである。 「みんなが私を信頼して話してくれる、告発してくれているものだと勘違いしていました。それは私が大手紙の記者だったからそうだっただけで……。会社員(記者)時代には軽い気持ちで行っていた出張も、わずか数万円の取材費が気になって行くに行けない。小さなニュースでは誰も注目してくれず、大きなニュースを書こうと取材しようにも、もはや誰も相手にしてくれない。フリー記者がこんなにも大変だったとは打ちひしがれるばかりでした」

「大手にいた頃は良かった」と嘆く日々

 フリー記者として3年が経過した頃には借金が300万円を超え、ちょうど中学に上がるタイミングだった子どものこともあり、地元・東北の小さな新聞社に再就職。妻と子どもは「そんなところにはいきたくない」と東京に残り、長谷川さん一人、実家から新聞社に通勤する「単身赴任」生活だ。 「大手紙記者時代の年収は約1000万。家賃補助、家族補助、通勤補助など生活に不安はありませんでした。現在の年収は400万ピッタリくらい。そのうち300万円以上を妻子に仕送りし、『実家にいるのなら』と兄弟に言われて、年老いた父母の介護もしなければならない。あのまま勤めていれば、家族で幸せに暮らせて、父と母を立派な老人ホームに入れてあげられたかもしれない。全ては後の祭りですね」  正義感や使命感を持つことに越したことはない。しかしそれが必要以上に「燃えて」しまうと、自分の置かれている現状や世の中が見えにくくなってしまい、結果的には自分の首を絞めてしまうことになる。「是々非々」の世の中を生き抜くことがいかに難しいか、二人の生きざまが物語っているかのようだった。<取材・文/森原ドンタコス>
1
2
テキスト アフェリエイト
新Cxenseレコメンドウィジェット
おすすめ記事
おすすめ記事
Cxense媒体横断誘導枠
余白
Pianoアノニマスアンケート