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小説『孤独のグルメ』――第16回「おせちと七面鳥のあとにかぶりつく新大久保のハットグ」

久住昌之氏の原作と、谷口ジロー氏の静謐な作画の組み合わせで描かれるひとりめしの楽しみが共感を集め、現在累計80万部を突破した人気漫画『孤独のグルメ』。日刊SPA!では『孤独のグルメ 望郷篇』と題して、小説篇を連載中(隔週金曜日更新予定)。執筆は、『孤独のグルメ』の初代担当編集者である壹岐真也氏。漫画やドラマとはまた一味違う五郎の哀愁を味わってみてほしい。

【小説 孤独のグルメ 望郷篇 第16回「おせちと七面鳥のあとにかぶりつく新大久保のハットグ」】


写真/Photolibrary

なにも生まないテイタラク。
正月元旦の、天気のいい朝。窓から明るい陽射しがはいってきて。オレは母の家の畳の部屋にねころんでウトウトしている。
そういえば、テレビのインタビューで高倉健がこんなことをいってたな。
「ま、いろいろ銭勘定もあるけれど、きびしいのは、“閑”の取り扱い、ですね」
閑(かん)、ヒマということなんだろうな。
オレは、“閑”の取り扱いに困ったことなど一度もないな。
ぜんぜん平気。
どれだけ時間があまっても、のんびり、ぶらぶらしていられる性分だ。爪をけずったり、畳の目をよんだり。ここにいないだれかに笑いかけたり。
もちろんネットをみたり、昔読んだ本をひっぱりだしてきて見直したり、DVDの映画をながめたりもする。
だけど、そんな暇つぶしさえ、する気持にならないことがある。
正月の朝は、そんなナマケモノのジブンにはふさわしい気がする。
オレはうとうとして、ヘンな夢をみていたかもしれない。

カアサンの呼ぶ声がする。
支度ができたのかな。
オレはたちあがり、居間へうつることにする。

私が煙草をすつてゐると
少女はけむい・・・と云ひます
  ※1


居間の長テーブルには人数分のランチョンマットが敷かれている。
中央に三段の重箱がおかれてある。深い大皿に白菜の漬物。それから鯛の尾頭付き。
姉の一家、姉、義兄、高校で野球をやっている甥の太と、オレが席につくのをまって、カアサンが
「さて。はじめましょうか」と背筋をのばす。
「いやいや。その前にチチに挨拶をしないといけないでしょう」とオレが遮る。
全員がユックリと、だらだらと立ち上がり、奥の間の神棚にむかう。
カアサン、姉一家、オレの順に神棚の前に立って、二拍三礼。
父は咽頭がんで、二十年ほど前に亡くなった。享年六〇。
それから正月元旦は、このメンバーを中心に過ごすことになった。
いつも静かな正月だ。
オレは太にお年玉をわたした。

席にもどりカアサンが勿体ぶって重箱をひらく。
「おぉ」とオレと太が声をだす。これはお約束だ。
一の重にかまぼこ。慈姑。黒豆。レンコン、煮しめ。等々。
二の重はエビ。タコ。田作り。きんとん。いくら、等々。
三番目が伊達巻。ごぼう。数の子。鰤焼き。等々。
ちょっと種類が多すぎるな。どれも少しずつ、種類をたくさん、重箱に詰めこんだみたいだ。やや偏執的かもしれない。
父がいなくなった翌々年にオバアサンも病気で亡くなり、独り住まいになったカアサンはおせちをデパートで註文するようになった。以前は、二日も三日も前から、田作りや栗きんとん、なます、筑前煮を作っていた。とはいっても、実際に料理していたのはオバアサンだった。カアサンは料理が下手だったから。
「もう、いいでしょ。どうせいつも残るんだから」とカアサンは明るくいった。
「でも、それじゃ年が改まらない気もするな」と姉が不満げに逆らった。
「アネが作ってもってくればいいじゃない」とオレ。
「ダメよ。年末はいろいろ忙しいんだから」
「じゃ仕方ないな」
「今年は七面鳥焼いたよ。ゴロー君が感謝祭にこなかったから」
「凄いな。出してよ」
「だめ。一度帰って夜にもってくるよ」
父がおらず、義兄もジブンもお酒をやらないので、お屠蘇で形ばかり新年の挨拶をした。
まずは栗きんとんからいこう。それから伊達巻を小皿にとる。
口中にひろがる栗の甘み。
伊達巻のふかふかとした感触。
う~ん。タマラナイ。さいきんはデパートなんかでも品のいい味を出すんだなあ、とあらためて感心する。昔はこういうものって、甘すぎたり、あだ辛かったりしたものだけど、たいしたものだ。
昆布巻きとちょろぎも、いい味だ。
煮しめ。こりゃ、複雑だなあ。昔は、オバアサンが山ほどつくったものだけど、あれがなつかしい。
「煮しめだけは、ちゃんと家で支度してくれんかなあ?」
父が亡くなっておせちを通販で購うようになり、二、三年して、オレはカアサンにたのんだ。
「そうだねえ。そうしようか」
とカアサンは嬉しそうな顔でこたえたが、結局、作ることはなかった。
鯛の身をほぐしていると、カアサンが
「そうだ! お雑煮を出すのを忘れてたっ」
と箸をおいてキッチンにむかった。
「みなさん、お餅はいくつですかー?」
大きな声でいう。
「餅は煮ないでくださいね。焼いてから出汁をかけるのでいいですから」
義兄がずり下がったメガネをあげながら、おだやかにいった。

Chalie’s enormous mouth,well,
It’s well awright
The girl got a very large mouth,but it’s awright
She got lips all around the hole
Where she puts her her food in
They call it the mouth
They call it the mouth

チャーリーの口はでかい、そんなことどうでもいいようなもんだけど
あのナオンの口はでかい、まあそれもどうでもいいようなもんだけど
穴のまわりにリップがあってさ
それにせっせと食い物をはこんでさ
そういうところを口っていうんだって
口っていうんだってさ
※2

ここは静かな食卓だ。話すこともとくにない。
オレは、おせちを摘み、雑煮を啜り、餅を食らう家族といっしょにいる。
表情は変えないが、みんな、ひたすらムシャムシャとよく食べる。
オレが食いしん坊なのは、やはり井之頭家の血統なのだな、と嬉しくなった。
食事のあいだはテレビをつけない習慣なので、おせちと鯛を一通りかたづけて、ソファに寝転がりリモコンをおした。
翌日二日スタートの箱根駅伝を、もうテレビ局が焚きつけてスペシャル番組を流している。
モロッコの雑貨を探す旅番組に動かされたが、こんな日くらいは生業のことも忘れていいだろう、とみるのをやめて、スイッチを消した。
姉と太が本の話をしていた。
彼らが住む国立の家の近所にあった古書店が、さいきん閉じてしまったのを大袈裟になげいている。
「子どものころ、あそこでルー・ゲーリックや王貞治の伝記を買ってもらったよね」
「もっとちいさいころに『ひとまねこざる』を何冊も買ってあげたじゃない」
「『おさるのジョージ』じゃないほうだね」
「あなた、あの飼い主の……」
「黄色い帽子のおじさん。あこがれたなぁ」
「あの男は博物館につとめてるんだけど、妙に金持ちなんだよね、別荘をもっていたりして」
と、義兄が口をはさんだ。カレは図書館の司書をしている。似ていなくもない職業だ。
また、ねむくなってきた。
カアサンが刺繍をしたクッションに頭をのせて、目をつぶった。
さいきん、満腹するとすぐに睡魔におそわれる。それも相当につよい眠気なのだった。
そういえば、ひとまねこざるは、ロケットで宇宙にいったりもするんだよナ。

War is Over
If you want it
※3

ふと気づくと、胸まで毛布をかけられている。
部屋は、がらんとして、暗い。ライトも点いていない。
スマホに、カアサンから、一緒に姉の家にいってくる、とメッセージがはいっていた。
灯りのない部屋で、神棚の榊が深く緑いろにしずんでいる。
空気はゼリーのようにかたまっている。
オレは、深呼吸、いや、ため息をひとつついて、たちあがり、洗面所へ行く。
洗面台に、オレの歯ブラシはない。
顔を洗い、鏡で髪をととのえた。
今夜、もう一度家族と食事をして、明日朝早くに帰ろう、とおもう。

夜、姉の一家が大皿に丸焼きのターキーを載せてやってきた。
カアサンと違い、姉の料理の腕はプロ級だ。オバアサンに似たのかもしれない。
バターを塗ってじっくりこんがりと焼いた七面鳥を義兄が長いナイフとフォークで切り分ける。スタッフィングのもち米、玉葱やセロリの炒めもの、タイム、ローズマリーなどの香草。
姉はときどき、感謝祭の日に七面鳥を焼く。時間があると、オレもお相伴にあずかることがある。
太はまだまだ食欲旺盛で、見ていて気持ち良いほどに、ローストターキーを胃におさめていく。一人で七面鳥の半分以上をたいらげてしまう。
これも大ぶりのガラス皿にたっぷりのトマトサラダ。それから、その脇には早くも、これも手製の焦げ目のついたアップルパイが出されてある。

翌朝、母の宅を出ると、寒気が思う以上にきびしかった。
昨日の過食で腹はいっぱいだったが、料理が充実しすぎていて、ちょっとジブンらしさが足りない気持だった。
オレは駐車場の車をだすと、O久保の駅裏にむかった。
韓国式ホットドッグ、ハットグで胃腑を最終調整して、あたらしい年の暮らしにもどるためだった。
裏町のビル先で営業している立ち食い屋台は、正月二日から人がむらがっていた。
せいぜいが高校生の、二人連れ、三人連れの女の子たちが、嬌声をあげ立ったまま、紙パックの中身にむしゃぶりついている。オレは正直、すぐにその場から逃げ出したくもなったが、ガマンして列の最後尾にならんだ。
店のうえにハングル文字と、「OPPA HOT DOG」の安看板。両脇にテレビ取材でここをたずねたお笑い芸人の写真がぺたりと貼りつけてある。
オレの順番になり、一番人気のメニューをたのんだ。
しばらく待つと、脂で揚げた外側が凸凹の四角い塊をわたされた。表面を溶けたチーズがつつんでいる。周りにはジャガイモも。
熱い! そして、なんという安物感! ケチャップとマスタードをたっぷりとかけて、さらにかぶりつく。チーズがのびて切り取れない。この安い旨さ。コリアンというよりアメリカン。ということは、いまやコリアン式世界共通、ということだ。
オレは、理由なく、嬉しくなった。
あたらしい年の始まりに、これこそがふさわしい気がした。

The gator got your granny
(Chomp Chomp Chomp)
Everybody said it was a shame,
Cause her mama was a workin’ on the chain gang

ばあさんは鰐に食われちまったし
(むしゃ、むしゃ、むしゃ)
あんたのママのことはみんな恥知らずと言ってるぜ
だってならず者ともやっちゃうような女だよ
※4

(続く)

※1 尾形亀之助「煙草」
※2 フランク・ザッパ(訳・高橋源一郎)「Chalie’s Enormouse Mouth」
※3 JOHN&YOKO『Happy Xmas(War Is Over)』
※4 Tony Joe White『Polk Salad Annie』(訳はコチラを参考にしました)


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