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小説『孤独のグルメ』望郷篇――第17話「巨人の栄光と寂寥を思いながら啜る赤坂の排骨拉麺と黒豆のタルト」

久住昌之氏の原作と、谷口ジロー氏の静謐な作画の組み合わせで描かれるひとりめしの楽しみが共感を集め、現在累計80万部を突破した人気漫画『孤独のグルメ』。日刊SPA!では『孤独のグルメ 望郷篇』と題して、小説篇を連載中(隔週金曜日更新予定)。執筆は、『孤独のグルメ』の初代担当編集者である壹岐真也氏。漫画やドラマとはまた一味違う五郎の哀愁を味わってみてほしい。

【孤独のグルメ 望郷篇 第17回「巨人の栄光と寂寥を思いながら啜る赤坂の拝骨拉麺と黒豆のタルト」 壹岐真也】


写真/滝本淳助 @takimotonosekai

♬都会の空き地は空にある。上、上、上へ!
知り合いの不動産屋さんのCMがラジオやテレビでながれるたびに、尻のあたりがむず痒くなる。
渋谷も、どんどんビルが高くなっていく。高くなるだけでなく、建築家やいろんな人がおもしろがって、あれこれデザインを細工、上塗りしていくから、これ、いったいどれくらい生かすつもり? いつまでを寿命の見当にしてつくってるの?と、頭がボンヤリしてしまう。
だから、オレはうつむいて、センター街をあるく。
よほど天気のいい日、夜空の澄んだ日はべつだけれど、顎をひき、目を足元におとしていれば、そのうち、だれかがヒカリエの天辺から1億円くらいばらまいたり、落ちたサイフをひろえるかもしれないし。そこに100万円くらいはいってるかもしれないし。それが夢だったら、またマジメにはたらけばいい。ほんとうだったら……。そんな落語があったな。
それから、うつむいてあるくのには、もうひとつ、訳がある。
さいきんの町がこわいのだ。

ニュースをきいていると、日本の犯罪者で190㎝以上のやつはいない、と元バレーボール選手のタレントがいっていたのを思い出す。みんな、160㎝後半から170㎝前半くらいだ、と。
それで、渋谷にでたついでに、没後二十年だというプロレス選手の記念の回顧展をのぞくことにしたのだった。
身長209㎝。体重135㎏(どっちも公称だけど)。
オレは圧倒的に猪木、そしてそこから生まれたUWF系プロレスを好んでいた。そんなオレだが、馬場選手の全日本の、世界最強タッグリーグ戦でおこなわれる一流の外国人選手同士の戦いには興奮させられた。
「ゴロー君、あの展覧会は見ておいたほうがいいいよ」
という、信頼できる友だちのTELにでかける気になった。
センター街をぬけて、T急本店にはいる。3階フロアの隅にもうけられた会場は、入口脇に古いポスターが貼りだされてある。
両国日大講堂。蔵前国技館。福岡九電体育館。
人間発電所ブルーノ・サンマルチノ。
荒馬テリー・ファンク。
覆面王ザ・デストロイヤー。
昭和の時代の、行ったこともない会場での、荒事師たちの選手権試合。
正面に、馬場選手の上半身の人形。
客は年齢層が高い男性で、だいたい一人で来ているようだ。スマホで熱心に写真撮っている人も多い。みんな静かだ。感慨にひたっている。
いいな。この感じ。プロレスの会場って、働き盛りの中年が、仕事終えて一人できてジッと見ているものだよな。ネクタイ緩めて、ビールの紙コップとかちびちび飲りながら。
インターナショナル選手権やNWAなどのチャンピオンベルトがショウケースに陳列されている。顔を寄せると、レプリカの値段表がついていて、20万円とかの値段がついている。
すごいな。
買う人が、やっぱりいるんだろうな。
でも、もしかしたら、馬場さんのベルトなど飾ったら、心がおちつくのかもしれない、とおもう。
会場の一角に、等身大のフィギュアが立っている。鮮やかなオレンジ生地に鶴の刺繍のガウン姿だ。
で、でかい。いい年の大人の男性が、横に並んで自撮りしている。
その気持、わかる。オレも撮りたい。順番待ちの後ろにならんで、スマホを取り出し、やっぱり撮ってしまった。はずかしいけど、嬉しかった。
年表をみて、16歳で高校中退して巨人軍にスカウトされて入団、一軍で先発経験あり、というところに驚いた。それって、すごい身体能力ってことだよナ。
この人、ほんとうに世界の〝巨人”だったんだ。
生涯の趣味だったという油絵が展示されていた。
海の画があった。
砕け散る波。広がる青い空。
新潟の八百屋で生まれそだったこの人は、その後功成り名をあげた後、ハワイの海と気候を愛したというけれど、故郷の越後のきびしく荒涼とした海を想ったこともあっただろうか。

暮れりや、砂山、
汐鳴りばかり、
すずめちりぢり、また風荒れる。
みんなちりぢり、もう誰も見えぬ。


かへろかへろよ、
茱萸(ぐみ)原(わら)わけて、
すずめさよなら、さよなら、あした。
海よさよなら、さよなら、あした。
 ※1

渋谷から、銀座線で赤坂見附へ向かった。
駅をあがり、通りをこえて日枝神社の脇の坂をあがる。
おおきくうねった傾斜のしずかな道。
右奥に民家風のふるい作りの鰻屋がある。昔、小雪とここの座敷にあがったことがあった。人目につかず、個室でゆっくりと料理を味わえる。場所柄、政治家なども多く利用していた。一度、便所への狭い廊下で元首相とすれ違ったこともあった。保守本党の政治家というのは、近くでみると、やっぱり堅気じゃない容貌をしている、とおもった。
一応神社の境内にはいってみる。本殿まであるき、お賽銭をなげる。小銭がなかったから、50円玉。ま、いいよな。
ここでも二拍三礼。何をお願いしようか。みんなの無事、健康。商売繁盛、というところか。
形ばかりで切りあげて、脇の階段から目的のホテル前におりる。
10年くらい前に建て替えられた立派な建物だ。
その昔には来日したビートルズが加山雄三と面談したり、デビッド・ボウイがここからの景色を気に入って宿を急遽変更して宿泊したりしたという(改築前はたしかに風情があった)。
エントランスからロビーに進む。
奥が目的のカフェレストランだ。
手前の喫茶スペースを抜けて窓際のレストランに案内される。
窓際の四人掛けテーブルをすすめられて座る。メニューをおかれたので、ひらいてみる。
「受け継がれた味」という囲みの、いちばん上。
排骨拉麺。パーコーメン。¥2980。
その下には……。
インドネシア風フライドライス。¥2580。
ハンバーガー。¥3280。
オムライス・デミグラスソースとともに。¥2700。
海老・蟹・じゃこの和風ピラフ。¥2580。
なんだかぜんぶ食べてみたい。でも今日は……。
これっきゃないっしょ!
パーコーメン!!
改築前の時代、このホテルのこの店にあの「東洋の巨人」ショーヘイ・ババがいつも座っていたという。
さぞかし画になっただろうな。想像するだけで、たのしくなる。
渋谷のデパートで回顧展をみているときから、ここにこなくちゃダメだ、とおもった。ここで、名物のパーコーメンをいただかなくちゃ、と。
あの人が好んだのはジャーマンアップルパンケーキ、だったと物の本には書かれているけれど。ここでは、やっぱりパーコーメンでショ。
「お待たせしました」と目当ての丼がはこばれてきた。
茶褐色の汁に沈んだ淡いイエローの麺。上に乗せられたトンカツ。
麺とスープ、トンカツ以外によけいなものは何もない。
きれいだ。やっぱり品がある。
レンゲで汁を啜る。いいお味。武骨な感じがぜんぜんしない。
そして、肉を口にいれ、噛みしめる。
うわぁ!
なんんて旨いブタなんだっ。
どこのトンカツ屋でも、こんなに肉自体の旨さがあふれているのって食べたことないぞ。
オレは、うっとりと気が遠くなった。
没我。

プアプアちゃん 助けてよ
やや青みがかった透明な液体
私は身体センチメンタル

どうしようもなく悲観が私の詩をふさぐ水道に歯がしみる
 ※2

明るいレストランだ。
大きくとられた窓の下には水が張られて、冬の日にきらきらと輝いている。
その向こうに松の木が植樹されている。
後ろの席で、仕立てのいい背広にきちんとネクタイを締めた老人が、一人でサラダボウルの野菜をフォークで食している。
向かいの席には40代くらいの女性二人連れ。よく喋る一人のネックレスの真珠が大きすぎる。彼女はモンブランケーキを、もう一方は苺のショートケーキをゆっくりと口にはこんでいる。
オレはパーコーメンの麺をすする。あれ柔らかいかな、と瞬間思うが、噛むと芯のシッカリとした歯ごたえだ。コンソメっぽくもある汁は脂の加減がすばらしいじゃないか。
トンカツは、衣は薄いが、肉自体にしっかりと下味が滲みこんでいてタマラナイ。
べつの小皿で出された薬味をいれる。白ネギ。分葱。辣油。七味唐辛子。
白ネギがいい。ぜんぶ入れてしまう。そこに小皿の辣油を垂らしていく。
スープを啜り、またブタ肉を口にはこぶ。体が骨からあたたまっていくのがわかる。
これはラーメンではない。似ているけれど、まったく異なる星の食べ物だ。2980円という値段も、町中華のラーメン三、四杯ぶんだけど、完全に納得がいく。
オレはおおいに堪能した。
町のラーメンなら、デザート頼まないものな。だいたいメニューにもないだろう。
器をさげにきたウェイターが訊く。
「デザートはいかがなさりますか?」
「あの。ジャーマンアップルパンケーキというのは、大きいものなんですか?」
「……そうですね。結構な型になっておりますが」
「そうか……」
「ほかのデザートもございますが、御覧になられますか」
「うん。見せてもらいましょうか」
「承知いたしました」
すぐにワゴンカートに載せたケーキを椅子の横につけられる。どれも玩具みたいに、宝石みたいに見える。
「こちらからガトーショコラ。苺のショートケーキ。モンブラン。レアチーズケーキ。こちらが……」
「あの、これは何ですか」
「黒豆のタルトでございます」
「これをください」
背をかがめて説明していたウェイターが、斜め下からオレの顔をそっと覗いた。
「かしこまりました」
「それと紅茶をください。ダージリンを」
「ミルクかレモンをおつけしますか」
「ミルクでお願いします」
一旦下がったウェイターがすぐにケーキの皿と紅茶を用意してもどってきた。
褐色の三角のケーキの上に黒豆が一つ。
フォークで切りとると、ふんわりとした感触。
この甘さは誘惑的で犯罪的だ。退嬰への誘い。ほんとうの贅沢。
お酒飲みの人で、甘いものは一切苦手、という人がいるけれど、かわいそうなことだ。
甘味は四十を過ぎた男の最後の遊戯だ、とあらためて確信する。
どれだけ町を再開発して高くモダーンなビルを作っても、この快感は取り戻せないだろう。
ウットリしているとメッセージがはいっているのに気がついた。スマホを覗く。
「ゴロー君。馬場さんの会場で売っているパンフレット、すごいクォリティだよ」
……しまった、買い忘れた!
でも、もうあの町にはもどりたくない。
オレはうじうじと悩みの底に落ちて行った。
(続く)

※1 北原白秋「砂山」
※2 鈴木志郎康「私は悲しみに液化した処女プアプア」


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