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競輪平成のベストレース…鈴木誠が切り開いた平成の競輪、将来を嘱望された岡崎孝士

平成中期「吉岡神山時代」を支えた若手選手の輝き

<平成10年・G1西武園ダービー決勝戦>

将来を嘱望された岡崎孝士 写真提供:(公財)JKA

 吉岡稔真に神山雄一郎。平成を代表する競輪選手を真っ先に挙げればこの2人だ。だが、自転車競技にはつきものの風圧、これに抗うために生まれる作戦こそ競輪の醍醐味だ。 「吉岡と神山は共に自力選手(※自力…自ら風を切って走る選手のこと。風圧に耐える体力が求められる。ラインで牽制・コース消しなどの役目を追うマーク選手は技術職といっていいかもしれない)として駆け上がって頂点に君臨しましたが、それでもG1のタイトルを取る過程において誰かの助けを借りた事は当然あります。 自分は神山と吉岡に思いを馳せるとき、同時に2人の選手を思い出します、その名は十文字貴信。そして岡崎孝士です。共に神山、吉岡の跡を継ぐ選手と期待されながらも、残念ながら共にタイトルに手が届かず現在は引退してそれぞれ違う人生を歩んでいます」(政春氏)  その岡崎孝士が輝いたのは平成10年(’98年)、G1西武園ダービー決勝戦だ。 1神山雄一郎 2小嶋敬二 3吉岡稔真 4金田健一郎 5鈴木誠 6森内章之 7山田裕仁 8岡崎孝士 9稲村成浩 「レースは岡崎が先輩吉岡を引っ張って先行、番手から吉岡が抜け出したことで捲り追い込んできた神山の猛追をしのいで優勝。吉岡1着、神山2着というありそうで実は中々見られない決着を見せたレースでした」
 2強が激突すると、競輪の場合はどちらかが作戦失敗に終わり両立は難しい。しかし、岡崎の奮闘によってそれは実現した。 「岡崎は9着でしたが観客から役目を果たした彼に対して辛らつな言葉を投げかける客はいなかったと記憶しています。そして大会をこのレースを見届けたファンは、近い将来吉岡の追い込みを振り切ってG1優勝を成し遂げるだろうと確信を持ったと思います。残念ながらその期待は幻となりましたが…」  岡崎はこの西武園ダービーをピークに成績は緩やかに下降していき、平成23年(’11年)に引退、バンクを去った。 「岡崎は腰を悪くしたと言われてます。一流選手の条件は体が頑強であることも必要だとは言えるでしょう。また、タイトルを掴むだけの運がなかったといえばそれまでだとも思います。G1の決勝には乗ったことのある選手で考えれば過去にいくらでもいます。 でも岡崎にせよ、十文字にせよ、一瞬の強烈な輝きを体感した身としては、もし岡崎が十文字が輝きを失わずにタイトルを取っていたら競輪界はどんな未来が待っていたんだろうと思いを馳せてしまうのです。それと同時に二人が輝くことを許さず、長い間頂点に君臨して時代を築き上げた吉岡と神山の凄さを改めて思い知らされますね」  時代の節目、そして平成新時代に将来を嘱望された若手の輝き…人がおりなす競走からこそ、ただ「勝った負けた」だけではないロマンがそこにはあるのかもしれない。  平成競輪後半編は後日公開予定。 【政春氏】 競輪予想ブロガー。競輪勝負師の父により子供の頃から鍛え抜かれた競輪予想のサラブレッド。ほぼ毎日厳選予想をブログ「競輪予想はじめました」に掲載中。Twitter:@keirinmasaharu <取材・文/佐藤永記(シグナルRight)>
公営競技ライター・Youtuber。近鉄ファンとして全国の遠征観戦費用を稼ぐため、全ての公営競技から勝負レースを絞り込むギャンブラーになる。近鉄球団消滅後、シグナルRightの名前で2010年、全公営競技を解説する生主として話題となり、現在もツイキャスやYoutubeなどで配信活動を継続中。競輪情報サイト「競輪展開予想シート」運営。また、ギャンブラーの視点でプロ野球を数で分析するのが趣味。
Twitter:@signalright
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