現役の米陸軍大将も、ハワイ州知事も沖縄移民三世! なぜアメリカで沖縄移民が活躍してるのか?

<文/惠隆之介>

米国で大活躍する沖縄移民の子孫たち

 最近、我が国は国家的〝引きこもり〟状態に陥っている。米国カリフォルニア在住でITビジネスを営む私の友人は、顔を合わせる度に警告する。 「日本人はどこへ行った? 街で見かけるのは中国人と韓国人だけだ。このままでは日本は衰退するぞ」  対照的に米国では今、沖縄移民の子孫の活躍が目立つ。  平成三十(二〇一八)年五月四日、ドナルド・トランプ米大統領は沖縄移民三世のポール・M・ナカソネ米陸軍大将を国家安全保障局局長兼サイバー軍司令官兼中央安全委員会長官に任命した。このポストにアジア系米国人が就任するのは初めてである。  また、サイバー軍は戦略軍指揮下から独立して太平洋軍、欧州軍などの統合軍に格上げされたため、ナカソネ大将は大統領に万一、不測の事態が発生し執務困難に陥った際、国家指揮を担う権限の順位が付与されたことになる。「アメリカン・ファースト」が叫ばれ、移民規制を強化する傾向の中で、国家生存の中枢を沖縄移民三世が担うのだ。  六月六日、七日の両日には、ハワイで現秋篠宮皇嗣同妃両殿下をお迎えして、第五十九回海外日系人大会とハワイ移住元年者百五十周年記念式典が開催された。最終日には、沖縄移民三世のデービット・Y・イゲ(日本名・伊芸豊)ハワイ州知事が両殿下を晩さん会にお招きした。

「沖縄移民の父」當山久三

 一方、沖縄では、同年十月十四日、本島北部の金武町で當山久三生誕百五十周年記念祭が開催され、町内の老若男女が集い、當山久三を盛大に顕彰した。  當山久三とは「沖縄移民の父」と呼ばれ、廃藩置県後、虚脱状態にあった農民を鼓舞し、海外雄飛を推進した男である。四十二歳で早世したが、その精神は住民に引き継がれ、その後、世界各地で同町出身者が活躍してきた。  式典スピーチで、仲間一町長は、「ハワイ州知事は沖縄移民出身」と強調し、青少年に奮起を促した。  ところで、我が国は戦前と戦後の歴史の断層が大きい。しかも沖縄では、先の大戦の被害者意識を底流としたイデオロギー教育が小中学校で行われてきた。従って偉人たちの生涯も、国家に抗った英雄であったかのように改竄されている。  ところがこの金武町だけは、進取の気象に富んでおり、昭和六(一九三一)年に制定された金武小学校校歌を、戦後も一字一句改変せずに、現在まで歌い継いできた。この校歌については本文で詳述するが、歌詞に當山の格言、「いざ行かん世界五大州」が歌われている。  この度出版した拙著『沖縄県民の知らない 沖縄の偉人』(育鵬社)は三人の沖縄県出身者の生涯を記した。この當山久三と、移民二世でアジア太平洋地域の交流に尽くしたハワイ大学経済学部教授トーマス・H・イゲ(日本名伊芸平八郎)、そして日本復帰の起点を作った琉球政府主席(知事)松岡政保である。この三人はいずれも金武の出身である。

左から、「沖縄移民の父」當山久三(とうやまきゅうぞう)、移民二世の米経済学者・トーマス・H・イゲ、沖縄返還交渉のキーマン・松岡政保(まつおかせいほ)。

 この三人の生き様こそは我が国青少年に海外雄飛への刺激になるものと確信している。さらに国際化が遅れた教育界へ本書がその刺激となれば望外の喜びである。 惠 隆之介(めぐみ・りゅうのすけ) 作家、シンクタンク「沖縄・尖閣を守る実行委員会」代表 昭和29(1954)年沖縄コザ市生まれ。昭和53年防衛大学校管理学専攻コース卒業。海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て護衛艦隊勤務。昭和57年退官。その後、琉球銀行勤務。平成11(1999)年退職。以降、沖縄をベースに安全保障問題を主とするジャーナリズム活動に専念。積極的な執筆、講演等を展開している。著書に『敵兵を救助せよ! 』(草思社)、『新・沖縄ノート 沖縄よ、甘えるな! 』(WAC)、『海の武士道DVD BOOK』(育鵬社)など多数。『昭和天皇の艦長』(産経新聞出版)は昭和天皇天覧。
沖縄県民も知らない沖縄の偉人 日米の懸け橋となった男たち

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