ビギナーが憧れるスナックの常連客…ってどんな人たちなの?――酔いどれスナック珍怪記
田中は、週に一回以上三十ウン年間欠かさず通っている常連客の一人だ。
いつもカウンターの左端から三席目あたりに鎮座していて、オープンの十九時からラストの朝五時まで、変わらぬペースとテンションで焼酎を飲み続けている。
雰囲気的には神社にある言い伝えのある岩とか樹齢八百年の杉みたいな感じで、触れるとご利益がありそうでもあり、粗末にしたら神罰が下りそうでもあり、まわりを三周回ったら願いが叶いそうでもあり、神隠しに遭いそうでもあり、目の前でバカ騒ぎしている写真には人ならざる何かが映り込みそうでもある。紙垂のついたしめ縄がよく似合うと思う。
一見不愛想で口数が少なく、扉を開けて入ってくる人間を見定めているような雰囲気を漂わせているが、慣れてくるとよくしゃべるただのドМであることがわかる。
わたしがお客として店に来始めた頃、店内の客がまばらで、自分の見たことのある客は田中のみだったことがある。ちらりと向けられた視線が「変なオンナがまた来やがった」とでも言いたげに思えたので、何を話そうか迷っているとマスターが助け舟を出してくれた。
「ユキナは田中さんには会ったことあるよね?」
「うん。あるけど、あんまりちゃんと話したことないかも」
ほっとしてそう答えると、田中はこちらを向かずにぼそっと口を開いた。
「君の話はいろいろ聞いてるよ。いろいろと」
その口ぶりから察するにどう考えても良い話ではなかった。どうせ酔って騒いでいたとか、酔って誰彼構わず抱き着いていたとか、酔っておっぱいを出していたとかそんな話だと思って、まだほとんど素面状態だったわたしは、話を逸らすように何かデュエットでも歌いませんかと持ち掛けた。デュエットと言いつつ選曲は中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』で、田中はぶっきらぼうに「俺は勝手にハモるから普通に歌ってくれ」と言った。
おっかなびっくり歌うと、田中は見事な音感でハモってくれた。三十ウン年スナックで歌い続けているだけのことはある。歌い終えた彼は静かにマイクを置き、それきり会話は途絶え、時折私が繰り出す質問に、田中は最小限のワードで答えるだけだった。
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