エンタメ

志村けんの笑いには“毒”があった。放送コードを飛び越えお茶の間で愛されたワケ

現行のテレビ番組の中で最も「毒」があった志村の笑い

 志村けんの笑いは「大人から子供まで楽しめる」と、いかにも「ファミリー向け」と取られかねないような評価がされる。しかし実際は現行のテレビ番組の中で最も「毒」があった。テレビで最後まで「おっぱい」が見られたのはバカ殿だった。「おっぱい」は「コード」そのものだ。それを出す事はある種の意思表示なのだ。 「変なおじさん」を正確に表記すれば、「変」の字を○で囲うべきだろう。どっからどう見てもただの変質者だ。私が最近1番好きだった「いいよなおじさん」は、何者か説明すれば完全にコンプライアンスアウトだろう。それを説明なしに演じ、しかもなんだか可愛いので、お茶の間に受け入れられている。ちょっと愉快犯とも取れるいたずら心がある。 「ヒゲダンス」や「早口言葉」の選曲は志村けんの豊富な音楽知識が生かされているという。そうした知識をひけらかさないから、純粋に笑えるものができる。  映画も相当詳しかったのではないだろうか。そう思うのは『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)が非常に映像的だからだ。バカ殿が行方不明になる。それを家臣たちが探す。中庭を臨む渡り廊下の凝ったセットが組まれていて、それを定点カメラが捉えている。そこにバカ殿がニヤニヤしながら現れ、通り過ぎていく。逆方向から家臣たちが「殿~」と叫びながら現れ通り過ぎていく。それが何度か繰り返される。笑いとは直接関係ないシーンに金と労力がかけられていて、私は「キューブリックのようだ」と思うのだ。 『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)の追悼放送で、 嵐のメンバーで自分だけドラマの仕事が来ないと悩む相葉雅紀に、志村けんが「焦るんじゃないよ。相葉君には『志村どうぶつ園』があるでしょ。ドラマは3カ月で終わるけど、『志村どうぶつ園』はずっと続くからね、俺が続かせるからね」と励ましたと言う話があり、グッときた。  バラエティー番組は、ドラマや映画よりも下に見られている。しかし関わる者にとって、生活を支える基盤となり、時に「家」のように感じられる場所となる。視聴者には、ささやかな慰めとなり、時に「誇り」のような存在にもなり得る。野球チームやサッカーチームのように。バラエティー番組は、多くの人間が心血を注いで生命を維持する無形の生き物だ。番組の看板となる人に「俺が続かせるからね」なんて言われたら、私は絶対に泣くね。 『志村動物園』はタイトルはそのままで継続すると言う。それは、バラエティー番組にアイデンティティーが存在することを証明している。この『志村動物園』がまた面白いんだ。もうじき今年も「カルガモのお引っ越し」が放送されるだろう。ちゃんと録画しとかなくっちゃ。
1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina
1
2
テキスト アフェリエイト
新Cxenseレコメンドウィジェット
おすすめ記事
おすすめ記事
Cxense媒体横断誘導枠
余白
Pianoアノニマスアンケート