僕と僕の係長/でこ彦<第3話>「男にも女にもなれない僕は居場所を失ったコウモリだった」
夏休みに祖母の家に行った際、近所の書店で「思春期の心と体」に関する本の立ち読みをした。空き巣のように周囲に注意を払い、慎重に本を手に取ってめあてのページを開くと、そこにはこう書かれてあった。
「同性への憧れは思春期特有の揺らぎです。成長するにつれ自然と異性に興味を持つようになるので安心してください」
本を閉じて店を出た後でも動悸がおさまらなかった。視界に文字が浮かんでぐわんぐわんと収縮した。
少しも安心できなかった。いっそ「ホモセクシュアルは異常性癖の一種です。即刻入院してください」とでも書かれてあれば諦めがついた。10年前なら書いてあったかもしれない。あるいは10年後だと「性的指向は生まれつきで、その区分は曖昧です」と安心させてくれただろう。当時は、申し訳程度に「同性愛は学年にひとりはいる計算」と記載されるのがせいぜいだった。
着地点の見えないバンジージャンプに突き落とされた気分だった。みんなのもとにちゃんと無事に戻れるか、紐が切れて墜落死するかは大人にならないと分からないという。
小学生の終わりに自分をゲイだと理解したものの、自分がその「学年にひとり」だとは受け入れられなかった。部活さえ親に「男子は美術部に入るな」と反対されて卓球部にしたのだ。ゲイであって許されるはずなかった。自然治癒するという点に望みをかけた。
熊谷くんとは「恋バナ」もするようになった。彼は同じクラスの鵜飼さんが好きだと言った。秘密を教えてくれるのが、男子の仲間に入れてもらえたようで嬉しかった。「律くんは好きな女子いないの」と熊谷くんは言った。
こういうときに僕は、羽田さんだと答えるようにしていた。同じ卓球部で仲が良かった。熊谷くんは「いいね。あの人、大きいもんね」と両手を胸で揺らして「ボイン」のジェスチャーをした。なぜか「鵜飼さん、おっぱい小さいんだよな」と悔しそうにしていた。あまりにもショックで、どう返答したのか記憶にない。僕は女子の胸について考えたことがなかった。今まで一度たりともなかった。大小の基準さえ分からなかった。
どんなに男のふりをしても、それは思い上がりだと突きつけられたような気がした。
かといって僕は女子にもなれなかった。鵜飼さんはクラスで一番親しい女子だった。日中はソニープラザで買ったコーラ味の歯磨き粉を試したり、髪を染めるならミルクティーブラウンとピンクアッシュのどちらが良いか盛り上がれたが、教室の外で話すことを禁じられていた。「男子といると先輩にしめられる」というのがその理由だった。鵜飼さんだけではない。小学校時代に仲の良かった女子も入学式の日に一緒に登校したきり、翌日からは同じ理由で拒絶された。トイレに行く前に鞄の前で組むスクラムや、存在すらひた隠しにされた交換日記など、ふとした瞬間に「男でしょ」と線を引かれた。イソップ童話のコウモリを連想した。男にも女にも仲間に入れてもらえず、ふらふらとさまよう存在が僕だった。
9月に体育祭が終わったころ、熊谷くんと鵜飼さんは彼氏・彼女になった。学年で最も早いカップルだった。ふたりは休み時間や放課後に僕の机を囲んだ。カップル同士の会話は僕を中継して交わされ、ふたりの視線が合って互いに照れれば僕に救いを求めた。
コウモリの居場所を見つけた。
3人組はそれぞれがそれぞれの潤滑油となり、文化祭やテスト勉強、クリスマスの間をなめらかに転がって進んだ。
バレンタインデーのチョコレートを買いに3人で出かけたことがある。その頃になると鵜飼さんは本当はふたりきりを所望したが、熊谷くんが恥ずかしがり、僕が同行することで妥協したのだ。コウモリは売り場で鵜飼さんに「これおいしそう」と話しかけ、熊谷くんには「すごい人混みだね」と気を遣い、ここぞとばかりにその存在価値をアピールした。
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