僕と僕の係長/でこ彦<第8話>「男らしくない」というだけでその人を「仲間かもしれない」と期待した
2学期が終わる頃、その大吾くんが、中学時代から付き合っていた春ちゃんと「勉強に集中したいから」と別れたこと、にもかかわらずすぐに同じクラスの静香ちゃんと付き合いだしたことを噂で聞いた。そこで初めて大吾くんに彼女がいたことといることを知らされた。
僕は「失恋」とは思わなかった。すごい四角関係に巻き込まれてしまった、と思った。大吾くんを巡る春ちゃんと静香ちゃんと僕の四角形。
そのうち、学年の女子が「春ちゃんがかわいそう派」と「静香ちゃん何も悪くない派」とに分かれていると知った。一部、「大吾が諸悪の根源派」もいるらしい。「律くんがんばれ派」は誰もいなかった。僕は彼らの物語の登場人物ではなかった。
僕を置いてけぼりにしてバリバリと音を立てて変化する人間関係を噂で聞くうちに、全て僕の妄想だったことを悟った。空中で縄はしごをちょん切られた気分だ。
「どこで何を間違えたのだろう」
ようやく失恋を理解した僕は何を悔やめば良いのか分からなかった。布団にもぐって号泣する僕を、ミニロディだけが枕元でカラフルに見守ってくれた。
その頃の僕は何も分かっていなかった。そもそも、僕がかわいいはずがなかったのだ。
朝に寝癖を直したことがあっただろうか。眉毛を整える発想がなかった。粉がふいた肌を保湿する術を知らなかった。当時ヒゲが生えてたかどうか覚えてない。
気にしたことがない。見えている世界が全てだったので、自分に「外見」があることをちゃんと理解していなかった。
視野が狭く、マイケル・ジャクソンの裁判のことも知らず、自分の顔すら見えていなかった僕がかわいいわけがないのだ。
しかし同時に、確かに僕はかわいかったのだということも今なら分かる。ただし、それはオオサンショウウオとかハダカデバネズミとかそういう生物を見るときと同じ感想だったに違いない。かわいいは1種類ではない。
「係長って硬い枕と柔らかい枕どっちが好きですか」
「んっ!」
係長に仕事の相談をする機会があったので、ついでに聞いてみると、真一文字に口を閉じてこちらを睨みつけてきた。「お前とは家の話はせん」という意味だ。
居酒屋でなら会話してくれるのに、会社の中だととことん冷たい。
「今の声、ちょっとエロかったですよ」
「んっ!」
唇を結び直して再度睨んできた。「お前とは下ネタの話はせん」という意味だ。
「なんの話ならしてくれるんですか」
「んっ!」
なんの話もせん、という意味だ。「ん」だけで読み取れるのは誇らしい。係長の掌にためた水の中でちゃぷちゃぷと泳がせてもらっているようで気持ちが良い。
「ふふふ」
係長の隣に座る部下が会話に割り込んできた。
「ふふふ、係長、なんか態度冷たすぎませんか?」
心配してくれているのだろうが、係長とのキャッチボールに横入りされたようで気分が悪い。
「いや、こいつにはこれくらいがちょうどいいの」
ボールが部下の手元に移ってしまった。水を差さないで欲しい。この冷たい睨み顔は僕にしか見せてくれない顔なのだから。
「お前もこの方がいいんだもんな」
「はい」と返事をする代わりに指パッチンを鳴らそうとしたが、出たのは指の腹がすれる乾いた音だけだった。
文/でこ彦 題字・絵/二口貴之
―[僕と僕の係長]―
'87年生まれ。会社員。Webメディア『telling,(テリング)』で「グラデセダイ」を連載中。好きな食べ物はいちじくと麻婆豆腐
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