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ラジオが“夜のお楽しみ”だった中年世代に今の「聴くメディア」は刺さるのか

コロナ禍の巣篭もり需要が追い風に?

 ところでなぜ、いま再び、ラジオ(&音声メディア)が活況の最中にあるのでしょうか。ラジオは今も昔も変わらず、声のみで届けるニュースであり、エンターテイメント。醍醐味は、パーソナリティとの距離の近さにあります。番組ごとにハガキ職人(いまはメール職人)がいるところも”あの頃”と変わらず、放送中、リスナーとパーソナリティのやりとりが繰り広げられ、番組の輪の中に入っているかのような濃密な時間を過ごせます。「わかるわかる!」「それは違うでしょ!」……こんなツッコミを入れたくなるところも変わらない魅力です。  ラジオ&音声メディア黄金時代。その最大のきっかけはコロナ禍の巣篭もりです。コロナ禍で働き方が多様化し、リモートワークが一気に普及したことが”聴くメディア”にとって追い風になったのは確かだと思います。  ロスジェネ世代の筆者もそんなひとりで、10代の頃に熱心に聴いていた”あの頃のラジオの記憶”が蘇り、「アフター6ジャンクション」「オードリーのオールナイトニッポン」「東京ポッド許可局」「空気階段の踊り場」……ラジオ番組が身近にある日常を過ごしています。  radikoのタイムフリー視聴のおかげで、スマホやパソコンでサクッと1週間分のラジオ番組をいつでも聴けるところが、あの頃と違うラジオの新しい楽しみ方です。時代は進みました。

過激発言の多さが良くも悪くも魅力だった

 あの頃とはいつか。我々ロスジェネ世代が10代を過ごしていた1990年代のはじめの頃を振り返ってみると、当時の情報源や”夜のお楽しみ”といえばテレビ、雑誌、ラジオしかなく、なかでもラジオはパーソナルに響く”自分に近い”メディアだった気がします。 「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」(TBSラジオ)と「伊集院光のOh!デカナイト」(ニッポン放送)、夜10時からどちらを聴くかでクラスの友人と舌戦を繰り広げ、「レディクラ」派は名物コーナー「ボンビーくん」や「NAI NAI ’91」にぷっと笑い、「Oh!デカ」派は「魂を売り渡せ!」や「おべどこ」(おべんとつけてどこいくの?)の妄想恋愛シーンに想いを巡らせたものでした。  枕元にラジオを置いて。声優の國府田マリ子のラジオを聴き、悦に浸っているクラスメイトの存在も今では懐かしい思い出です。この手のラジオにまつわるエピソードはロスジェネ世代の皆さんなら、1つや2つあるのではないでしょうか。  当時の深夜ラジオといえば、オールナイトニッポン全盛の時代。1980年代の後半から1990年頃を思い返すと、火曜はとんねるず、金曜はウッチャンナンチャンが人気で、とんねるずの後継となった電気グルーヴの初回放送がピエール瀧の「うんこ」の連呼で幕を開けたことも嗚呼、懐かしい。大槻ケンジ、さくらももこ、大江千里、裕木奈江……パーソナリティのラインナップも多彩でした。  ラジオ黄金期とは言わないまでも、ラジオが身近なエンタメとして機能していたのは確かだと思います。1994年にはナインティナインの番組もスタート。こちらは2014年まで続き、あの件を経て、第2期が2020年にスタートしたのは多くの人が知るところでしょう。
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復権の潮目はradikoから
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数々の雑誌を渡り歩き、幅広く文筆業に携わるライター・紺谷宏之(discot)と、企業の広告を中心にクリエイティブディレクターとして活動する森川俊(SERIFF)による不惑のライティングユニット。 森川俊 クリエイティブディレクター/プロデューサー、クリエイティブオフィス・SERIFFの共同CEO/ファウンダー。ブランディング、戦略、広告からPRまで、コミュニケーションにまつわるあれこれを生業とする。日々の活動は、seriff.co.jpや、@SERIFF_officialにて。 紺谷宏之 編集者/ライター/多摩ボーイ、クリエイティブファーム・株式会社discot 代表。商業誌を中心に編集・ライターとして活動する傍ら、近年は広告制作にも企画から携わる。今春、&Childrenに特化したクリエイティブラボ・C-labを創設。日々の活動はFacebookにて。

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