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M-1トップバッターの最高点を叩き出したモグライダー。順番が違っても「優勝は無理だった」理由

コロナ禍で初めて、「M-1」を意識した

モグライダー芝:それで、本当に基本の「き」からやり直そう、というのが2年前。「仕事がないからYouTube」とかじゃねーぞ、と。この時間で一回、容赦なく自分たちを見つめ直して、「職業は芸人です」と胸を張って言えるところまで行かなくちゃいけない。そのためには、周囲にも耳を傾けて、まず人としてちゃんとしようと。そして、一番わかりやすい結果としてM-1を獲る。それまでは、意識して合わせたりしていなかったので。 ともしげ:ナイツの塙さんには、「どこでも誰にでもウケるには、まず本(=台本)がしっかりしていないといけない」と口を酸っぱくして言われました。それと衣装の大切さも。 芝:千鳥の大悟さんからは、直接アドバイスとかはないんですけど、ひと言、「ネタぞ」と言われたことが強烈に記憶に残っています。僕らはバラエティ全盛期に育ったテレビっ子で、芸人になった頃にはネタ番組もなかったから、ネタへの向き合い方がすごく中途半端だったんです。 ともしげ:芝くんはよく「漁師町の人を笑わせたい」って言うんです。 芝:僕らのことを知らない人、お笑いの流行とかフォーマットを知らない人でも笑わせられるのが最高じゃないですか。ただ、そのための努力や準備が圧倒的に不足していた。結局、一昨年も準々決勝で落ちてしまったけれど、目の前でランジャタイが準決勝に行ったのを見て、諦めなかったことが、今年に繫がったんだと思います。

13年間、ともしげのことだけを考え続けてきた

モグライダーともしげ:ネタ合わせすらしなかった僕らが、芸人仲間と会場を借りて、ネタ見せ会をしましたからね。 芝:特にヤーレンズとシシガシラの2組。あいつらがいなかったら、決勝に行けてなかったと思う。 ともしげ:ちょうど同じ時期に芝くんが父親になったのも大きいです。すごく変わって、大人になった。 芝:僕、酒が飲めないのに、飲み会に最後までいて、朝まで帰らないような生活をしていたんです。面白いことは夜に起きる気がして、芸人として、その場にいないことが不安だった。だから、父親なんてできっこないと思っていたけれど、コロナ禍で家族と向き合うようになったら、僕らの漫才と一緒なんですよ。 どれだけ準備や予測をしても、子どもは絶対に思い通りにはならない。だから、付き合っていくしかない。やりたくないこともやらなきゃいけない。同じようにコンビを組んで13年間、僕はともしげがどんな予測不能なミスをしても拾えるように、ともしげのことだけを考えてきた。だから、もはや夫婦漫才みたいなものです(笑)。歌ネタ、ぼやきと人生幸朗・生恵幸子師匠の影響もあるのかも。
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根底にはお笑いファン以外を笑わせたいという思いがある
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