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寿司職人、NYでは下っ端レベルで年収1000万円「“日本人”というだけで海外では引く手あまた」

ニューヨークでは下っ端でも年収1000万円

寿司 ここ数十年、世界全体で寿司の店舗数は年間15%の成長を見せており、菊地さんによれば「これほど成長率の高い市場はほとんどなく、非常に大きなポテンシャルを秘めている」という。  だが、冒頭にも触れた深刻な人材不足が業界の課題となっており、優秀な寿司職人の争奪戦が行われている。逆を言えば、寿司を握れる人材は市場価値が高く、エンジニアと同等かそれ以上の年収レンジが期待できる状況なのだ。  実際のところ、寿司職人の“お金事情”はどのようなものなのか。菊地さんは「日本人というだけで、海外の寿司屋からは引く手あまたの状態だ」と話す。 「ニューヨークでは日本で見習い、下っ端のレベルでも年収で1000万円。一端の寿司職人になれば年収3000万円くらいもらっていると思います。もちろんアメリカはチップ文化なので、それを含めた数字ですが、日本よりも断然もらえる額が異なります。  寿司屋はカウンター席が中心であり、他のレストランのように大勢のウェイターがいないぶん、チップを分ける人数が少ないのも、高い報酬になる一因になっています。また、タイやベトナムといった東南アジアであれば、日本の回転寿司で出す寿司を握れるスキルがあれば、1〜2年で月収100万円も夢じゃないと思いますね」

ガテン系や旅人から寿司職人に転身、海外で大成功

 ここで、海外で寿司職人になった実例を紹介したい。  菊地さんは西麻布で「江戸前鮓すし通」というお店を経営しており、そこで働いていた寿司職人が、海外で高級取りになっているそうだ。  まず1人目のAさんは、一度すし通で働いていたものの途中で辞めてしまい、土木工事の仕事に従事していた。そんななか、一緒に働いていた寿司職人が大出世し、テレビや雑誌などのメディアに取り上げられるほどの有名人になり、その光景を見たAさんは「もう一度働かせてください」と菊地さんに懇願したそう。 「その後、Aさんは寿司職人としての腕を磨き、台湾に拠点を移しました。今では、台湾で最も予約の取れない店にまで成長し、おそらく年収3000万円くらいはもらっていると思いますね」  また、2人目のBさんは大学を中退し、バックパッカーとして世界中を回っていた旅人から、寿司職人になった事例だ。  あるとき、台湾のお寺で振る舞われた精進料理に感動し、食の世界に入ることを決意。 寿司職人を目指し、いくつかのお店で働いたのちにすし通に来たそうだ。 「他のところで見習いから始め、2〜3年くらい働いてからうちに来ました。そこから数年間働いてシンガポールに行くことになって、現在は独立して年収2000万円くらい稼いでいるのではないでしょうか」  一方、菊地さんは「日本人は海外にチャレンジする人が少ない」というのを感じているそうだ。 「日本人の気質として、『石の上にも三年』という風に、ひとつの職場にずっと留まる気質が強く、なかなか挑戦する機会がないと思っています。特に海外となると、英語が話せないことや見知らぬ土地で過ごすことへの不安が先行してしまい、なかなか一歩を踏み出す勇気が持てない人も少なくありません。  ただ、手に職をつけられるのはもちろん、海外に住むニーズも叶えられ、さらにはサラリーマンの年収をはるかに超える報酬ももらえる。日本人が最も海外での労働ビザを取得しやすいのが、寿司職人といわれており、今は本当にチャンスなので、少しでも寿司職人になってグローバルに出ていく人が増えたらなと思っています」
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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