林家木久扇86歳が”欽ちゃん”に明かした「笑点卒業」を決めた、妻のひと言
まだまだバカやマヌケの大切さを伝えていかないといけない
──木久扇さんは、この3月末で『笑点』を卒業されました。それを聞いたときに、萩本さんはどう思いましたか?
萩本:実際の師匠のお気持ちはわからないけど、円楽さん(六代目三遊亭円楽)がいなくなってからは、ちゃんといじってもらってない。だから、ちょっと寂しそうに見えたかな。自分だったらこうツッコむのにって、もどかしい場面がよくあった。俺を出してくんないかなぁと思ってたけど、声がかかんないからさ。
木久扇:そういうわけではないですけど、だんだんしんどくなってきちゃって。バカだからやめ時がわからなくて長くやっちゃいましたけど、おかみさん(妻)が「そろそろいいんじゃない」と言ってくれたんです。
萩本:師匠が『笑点』から卒業したら、学校のイジメが今以上に増えちゃうかもしれない。だって、バカのすごさを示してくれている人がいなくなったら、誰かの欠点やダメなところは「バカにしていい」としか思わなくなるでしょ。
木久扇:となると、ぼくも欽ちゃんも、まだまだバカやマヌケの大切さを伝えていかないといけませんね。
萩本:半年ぐらいしたら、司会で復帰してほしいな。いよいよ体がしんどくなったら、横に布団敷いて寝てるだけでもいいから。お前らは座布団だけど、俺は布団だって。
木久扇:ハハハ、いいですね。寝転がって、「面白くないよ」なんてブツブツ言ってる。
萩本:私も3週間に一回ぐらいずつ、舞台の右から左にすーっと歩いていく。師匠に手を振ったりなんかしながら。
木久扇:欽ちゃんがいつ登場するかわからなくて、視聴率が上がっちゃうかもしれない。
萩本:お互い、まだまだ暴れましょう。跳んだりはねたりはしなくていいけど。
(1回目/全4回)
【全4回の記事一覧を見る】⇒林家木久扇×萩本欽一[特別対談]
Kikuou Hayashiya
1937年、東京・日本橋生まれ。高校卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。1960年、三代目桂三木助に入門し、翌年、八代目林家正蔵門下へ。1982年「全国ラーメン党」を結成。3月末、約55年務めた『笑点』の大喜利レギュラーメンバーを”卒業”する
Kinichi Hagimoto
1941年、東京・下谷生まれ。高校卒業後、浅草の東洋劇場に。1966年に坂上二郎と「コント55号」を結成。1980年代には『欽ちゃんのどこまでやるの!』など、手がけた番組が軒並み高視聴率を叩き出し「視聴率100%男」と呼ばれた。多くの番組で司会者としても活躍
取材・文/石原壮一郎 撮影/ヤナガワゴーッ!
―[インタビュー連載『エッジな人々』]―
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