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名奉行「遠山の金さん」の彫り物は、桜吹雪ではなく“女の生首”だった!?『禁断の江戸史』より

金さんの入れ墨は、桜吹雪ではなかった!

桜 ここまで、時代劇での“金さん”の内容にこんなにウソが多いとなると、気になってくるのは、本当に遠山金四郎が桜吹雪の彫り物をしていたか?ということである。  じつは金四郎と同時代の、作者不詳の『浮世の有様』には「金四郎は賭場(とば)に出入りするなど放蕩(ほうとう)生活を送り、たびたび悪事も働いていたが、やがて家督を継ぐことになった。だが、総身に彫り物をしているので醜い」とある。  つまり、全身に彫り物をしていたというのだ。 「数年間、金四郎の部下であった佐久間長敬(おさひろ)も『江戸町奉行事蹟問答』(南和夫校註 人物往来社)の中で、体に彫り物をしていたという証言を残しているんです。となると、どうも彫り物があった可能性は高いようなんですが、具体的な紋様は語られていませんでした。  それが明記されるようになるのは、明治時代の記録からです。  木村芥舟(きむらかいしゅう)は『左腕に花の紋様を描いた入墨があった』と回想していますし、中根香亭(なかねこうてい)が著した『帰雲子伝』(金四郎の略伝)には、金四郎があるとき歌舞伎の脚本家・二世並木五瓶(なみきごへい)と喧嘩になったが、興奮のあまり相手に殴りかかろうと腕をまくり上げた瞬間、肩から腕にかけての彫り物が顔を出した。  なんとそれは、女の生首が髪を振り乱して巻物を咥(くわ)えた絵柄のまことにグロテスクなものだった、とあります。遠山の金さんの彫り物が桜吹雪ではなく、女の生首だというのは、イメージが狂ってしまいますね」

市川左団次が演じた金さんの彫り物も女の生首だった

 この『帰雲子伝』は明治中頃に出版されたが、それと同じ頃に、『遠山桜天保日記』という歌舞伎の脚本が竹柴其水(たけしばきすい)によってつくられ、明治座で市川左団次が金四郎を演じられていた。  このときの金さんの彫り物は、やはり女の生首だったという。ただ、これではちょっと格好がつかないと思ったのだろうか、ほぼ同時期に桜吹雪説も登場し、そちらのほうが金さんのトレードマークとして定着していったようである。
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金さんは、殺人などの犯罪行為を裁いていなかった!?
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歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。

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