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名奉行「遠山の金さん」の彫り物は、桜吹雪ではなく“女の生首”だった!?『禁断の江戸史』より

金さんが現代でも人気ヒーローであり続けるワケ

江戸時代の人 それにもかかわらず、金四郎の人気が高まったのにはワケがあるのだと河合先生は言う。 「同僚の南町奉行・鳥居耀蔵(とりいようぞう)がさらに輪をかけて水野に忠実であり、庶民を苦しめていると評判が悪かったからなんです。  それに対して金四郎は、庶民にはかなり同情的でした。たとえば、水野が寄席を全廃しようとしたとき、金四郎はそれを諫めていたのです」  さらに歌舞伎の芝居小屋の一件もある。天保12年(1841)に堺町の中村座から火が出て、三座(代表的な三つの歌舞伎の劇場)がみな焼失してしまう。  すると水野は、歌舞伎は庶民の風俗を乱すので、この際、取りつぶすべきだと主張したのである。

芝居小屋廃止に反対した金さん

歌舞伎座「その意を受けた鳥居が芝居小屋廃止に動くと、遠山金四郎は『何も庶民のささやかな楽しみまで奪う必要はないでしょう』と強く反対したのです。  将軍・家慶の意向もあり、芝居小屋は江戸の場末である浅草へ移転することで落着しました。もしかしたら、金四郎が将軍に密かに働きかけたのかもしれませんね」  いずれにせよ、目障りに思った水野によって金四郎は大目付に転出させられる。実際は出世であったが、敬して遠ざけられたらしい。  ただ、天保の改革は水野失脚により2年間で終わりを告げ、金四郎は再び町奉行に返り咲いたのだ。
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南北両奉行所の奉行になったのは金四郎が初
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歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。

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