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父親の“献金総額”は1億円。「自分の家は貧しい」と思っていた宗教2世の人生…地元にいると「なぜ献金しないんだ」と迫られる

癌が見つかった父が「旧統一教会の本部」に行くも…

宗教二世

自宅に残る「多宝塔」

 いわゆるネグレクト状態の弊害は、こんなところにも及んだ。 「5~6歳くらいのころ、教会の空き地のようなスペースで遊んでいたら、顔見知りで信者の男性から『遊びに行こう』と声をかけられました。そして車に乗せられて、身体を執拗に触られるなどの性的ないたずらに遭ったのです。恐怖で身体が硬直したままの私は何時間も連れ回され、夜になって自宅付近で降ろされました。帰宅すると、両親が烈火のごとく怒っていたのを今でも覚えています。統一教会の教義に男女交際に関する厳しい決め事がありますが、この出来事と重なってその後長く男性不信になりました」  身内の健康状態に対する不安感から入信した田中さんの父親だったが、次第に自身の身体も蝕まれていく。 「入信から10年くらいが過ぎたとき、父に癌が見つかりました。通常は治療をすると思うのですが、旧統一教会から『病院に行かなくても、清平(チョンピョン、旧統一教会の本部があり聖地とされる場所)に行けば治る』と言われ、言われるがままに行動していました。旧統一教会の信者が集まって修行を行う修練会という場所がありますが、それと同様に儀式を行えば治ると信じていたように思います。当然治るはずもなく、父は私が小学校6年生のときに亡くなりました」  冒頭でも触れた通り、献金総額は1億超。いまだに自宅には旧統一教会から買ったものが残っているという。 「最も高額だったのは多宝塔ですね。6600万円したはずです。ほかにも、仏を模したような像なども購入していました」

中学卒業後、ヤングケアラーに

 田中さんが実態を知ったのは、父親の死の直後ではなく、それからしばらく経過してのことだ。 「父の死後、祖母に介護が必要になり、私の10代はケアに費やすことになりました。今でいうヤングケアラーです。中学を卒業してからは高校に進学せず、自宅で介護をやっていました。当時はどこにも逃げ場がない閉塞感があり、本当につらい時間でした。ひたすら来る日も来る日も祖母のおしめを替えて、気がおかしくなりそうだったんです」  だが、田中さんは18歳のときに介護職に就いた。この選択は意外にも思える。   「学歴がないから選択肢がなかったという事情もあります。しかし、祖母の介護中にヘルパーさんに入ってもらった経験が、介護職をやろうというモチベーションになりました。あのとき、ヘルパーさんが来てくれることによって自分の時間を作ることができて、リフレッシュできたのが救いでした。かつての私のように介護をする側の人たちが少しでも楽になるならと思っています」
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結婚を機に住んでいた家を飛び出す
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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