更新日:2025年01月22日 17:22
ライフ

トー横・病み界隈に“居場所”を求めた23歳女性が踏み出した一歩「欲望に忠実な人間なので(笑)」

“病み界隈”との意外な出合い

強欲のモメたん——たとえば、どういう部分が普通ではなかったと思いますか? モメたん:すごくストレスを感じた時に、SNSで『死にたい』っていう投稿をしたんです。それまで、そんな感覚になったことがなかったから、自分にとってはすごくつらい状況で。でも、そのつぶやきに、意外といいねが付いたんですよね。それで、いいねを付けてくれた人の投稿を見にいってみると、ほかにもみんな同じようにつぶやいていて驚きました(苦笑)。そうしたら、“自分だけじゃないんだ”って、逆にはげまされたんです。 ——そのアカウントは、学校の友達とか身近な人とはつながっていない匿名だったのですか? モメたん:そうですね。病み垢って呼ばれているサブ垢で投稿していました。病み垢でつながった女の子とも会ったことがあります。でも全然、普通の会話でしたよ(笑)。 ——高校を卒業してから気持ち的には大丈夫でしたか? モメたん:いえ。うつ病になったきっかけが家庭環境だったから、一度、家からは離れておばあちゃんがいる岡山にいたのです。岡山には看護学校を休学していた1年間いたのですが、田舎だし退屈でしたね。治療目的でいったのに、良くならなくて。それで自殺未遂みたいなことをしてしまったんです……。その話を東京に住んでいる友達にしたら、『そんなことするくらいだったら、戻っておいでよ』って言われて。それでまた上京しました。

トー横に流れついて…

トー横

家や学校に居場所がない若者たちが集まるトー横にて。写真集『わたしの全てにいいねして』(東京ローレライ)より

——トー横ではどういう風に過ごしていましたか? モメたん:女の子だけではなくて、おじさんとかもいたんですよね。女の子の間で『ピル配りおじさん』と呼ばれている人がいて、不安で焦っている子に、1000円でアフターピルを売ってくれていた。遊びに行くようになってどんどん顔見知りが増えていく感じで、私はよく路上飲みをしていました。 ——路上飲みとは? モメたん:ストロングゼロをストローで飲むんですよ。そうやって仲間で集まって飲んだり騒いだりするのが楽しかった。トー横は結構、年齢の幅が広くて、家出してきている10代の子もすごく多かった。私は数カ月間、毎日のように通っていたけれど、毎日同じ子がいるわけではなかった。歌舞伎町のネカフェで寝泊まりしている子や、ホテルを泊まり歩いている子とか。みんなトー横に行けば会えるから、連絡先も交換したりしなかった。
歌舞伎町

写真集『わたしの全てにいいねして』(東京ローレライ)より

——トー横界隈と呼ばれる子たちとは、どういうつきあいをしていましたか? モメたん:当時、仲が良かった友達が自殺しようとして睡眠薬のオーバードーズした。その時は、警察のお世話になって終わったのですが。その数年後に、友達から電話が掛かってきて『今から、死んでくるわ』っていう挨拶みたいな連絡だった。『わかった』って電話を切ったら、その後に亡くなっちゃったみたいでした。
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“やめたい”という気持ちがあっても難しい
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出版社やWeb媒体の編集者を経て、フリーライターに。趣味はプロレス観戦。ライブハウスに通い続けて四半世紀以上。家族で音楽フェスに行くのが幸せ。X(旧Twitter):@rizeneration

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刺激中毒 刺激中毒

“病み界隈(トー横界隈)”から誕生した新世代のクリエイターが綴る、歌舞伎町での愛、そして生と死――。東京の片隅で愛を渇望する女の言葉は切なくも苦しい。計20篇の詩と28枚の絵を収録する。


わたしの全てにいいねして わたしの全てにいいねして

元“トー横キッズ”のアート女子が衝撃グラビア!! トー横をはじめ、ホストビルの階段、歌舞伎町タワー、ラブホテルなど、強欲のモメたんのゆかりのある歌舞伎町で撮影。巻末には、その壮絶な半生を語ったロングインタビュー付き。死の淵から、光り輝く場所へ舞い降りた“病み天使”が、令和のグラビア業界を席巻する!?

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