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「小学生の時は友達もほとんどいなかった」芳根京子27歳の“人生を変えた”転機。「土曜日に先生から電話がかかってきて」

子どもの頃はすごく引っ込み思案で人見知りだった

人見知りだった幼少期

(C) 2025映画「雪の花」製作委員会

――和太鼓では先生に誉めて伸ばしてもらい、殺陣も監督から鼓舞してもらったとのことですが、子ども時代に誉められたことで自分が変わった「成功体験」のような出来事はありますか? 芳根:私、もともとすごく引っ込み思案で人見知りだったんです。小学生のときなんて、友達もほとんどいませんでした。 ただ吹奏楽はやっていて。昔からピアノをやっていたのですが、それも祖母から「ピアノの他にもほうひとつ楽器ができたほうがかっこいいよ」と言われて、基本がネガティブ思考だったので「朝練とかは苦手なんだけど・・・」と思いながらのスタートでした(笑)。 それでも4年生から3年間フルートを続けるうちに、楽器って楽しいなと思うようになりました。 ――中学でも吹奏楽部だったんですよね。 芳根:はい。中学に入ったとき、吹奏楽部にちょうどフルートがいなくて、「即戦力を見つけた」みたいな状態で。 ほかの1年生はまだ仮入部だったタイミングで、土曜日の休日に顧問の先生から電話がかかってきて、「今日何してますか? 今から練習に来られますか?」と言われて、「行きます」と行ったんです。 行ってみたら2~3年生だけで、「コスチュームです」って言われてそのまま演奏会でフルートを吹きました。 ――急ですね(苦笑)。 芳根:「すごいね」と誉められて、そこから人とコミュニケーションを取るのも楽しいかもと思えるようになって、私の人生が変わったんです。

「自分なんか」から明るい自分へ

――演奏が上手くいったことの成功体験もそうですが、それ以上に、人とコミュニケーションを取れたことが大きな変化だったと。 芳根:音楽をやっていたことでフルートを経験して、フルートを経験していたことでたまたま部活で足りなかったところにポンと入れてもらえて、先輩や先生たちからすごく誉めてもらえた。 それがすごい自信になって「自分でもやれることがあるんだ」と、もっと人と話してコミュニケーションを取りたいと思えるようになったんです。それまでは「自分なんか」とどんどん後ろにいくタイプの人間だったのが、そこからすごく明るくなりました。 ――現在の芳根さんを作った大きな転換期ですね。 芳根:自分がやってきたことが認められた喜びと、波長の合う友達と巡り合えたこと。中学での出会いが、私のなかでの大きな分岐点だったなと思います。
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自分に対してめちゃくちゃ負けず嫌い
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ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異。X(旧Twitter):@mochi_fumi

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【公開情報】
(C) 2025映画「雪の花」製作委員会
『雪の花 ―ともに在りて―』は全国公開中
公式サイト https://movies.shochiku.co.jp/yukinohana/

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