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壮絶いじめに苦しんだ少年時代、酒浸りの生活、家庭崩壊…中年を過ぎてブレイクした芸人・チャンス大城(50歳)が振り返る半生

周囲が騒然!? 元相方・和田英雄が送った「エール」

エッジ050613──芸歴でいうとかなり早くて、確か中学時代にNSCに入学したらしいね。 大城: はい。でもそこは中3の時に中退しちゃいました。その後、一応高校受験はしたんだけど、僕、周りで3人しか落ちない高校に落ちちゃったんですよ。  しかも、僕以外の不合格者2人はシンナー依存症で(笑)。結局、定時制高校に通って高卒でもう一回NSCに入り直しました。最初が8期生で、この時が13期生。同期には野性爆弾や次長課長もいましたね。 ──それからの下積みが長かった。なにせ30年以上だもんね。 大城: NSC卒業後も、レギュラー出演のオーディションに落ちまくって、もう芸人らしい活動はしていませんでしたね。  高校の同級生で、お笑いのコンビを組んでいた和田(英雄)と一緒にモップ工場で働いてた時期もあるんですけど、ある日、その工場の朝礼に参加してたら、和田が工場の後ろにある高速道路を「俺はおもろいぞーー!!」って言いながら走り去っていったんですよ。従業員はみんな騒然。  その後、「あれはなんやったん?」って聞いたら「お前、東京行け」と。和田なりの僕へのエールだったんでしょうね。それで、一念発起して東京に出てきました。23歳の時です。

酒浸りの生活の末、ついに家庭崩壊

エッジ050613──その頃、酒癖が相当悪かったよね。俺も「コノヤロウ」とか言われたもん(笑) 大城: 本当にご迷惑をかけしました……。結婚はしてたけど、日の目を見ない日がずっと続いてたから、とにかく感覚を麻痺させたくて酒浸りの生活になったのかな。  平日の真っ昼間から酒飲んでタバコ吸って「売れてぇな」ってぼやくのが芸風というか。R−1グランプリも大体2回戦落ちで、真面目にやっている連中をバカにしていたんですけど、「このままでいいのか」って心の底では思っていたのかもわかりません。 ──そんな生活もあって、奥さんが出てっちゃったんだっけ? 大城: そう。奥さんは働いていたから、当時僕が息子を保育園に送る係だったんです。酒飲んで朝方に帰ってきて、うんこ漏らして泣きじゃくっている子どもを慌てて保育園に送るなんてことも何度かありました。
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千原ジュニアとの出会いで運命が一転
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