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“早稲田卒の元パチプロ”が語る「父親と絶縁するまで」。就職浪人中に「パチスロを打ち続けた」男の末路

ストレートで早稲田に合格し東京へ

パチプロ こうして学業とパチスロの両立をこなし、高校を卒業すると早稲田大学に入学。口うるさい父親から距離を置くことにまんまと成功したのであった。 「早稲田に行こうと思ったのは、さすがの父親も早稲田だったら文句言わないだろって思ったからです。当時は『せっかく大学入ったんだから、ちゃんと勉強してこい』と、ムスッとして言われたんですけど、自分としては『コレで家から出て行けるぜ!ラッキー!』みたいな感じでした。でも、文句どころか、いろんな人に『いやぁ〜ウチのガキ、なんか知んねぇけど早稲田って大学に入っちゃってさぁ〜』って言いふらしてたみたいなんです。本当は嬉しかったみたいで……。でも、この話を聞いたのは父親が亡くなった後でした」  こうして東京に出てきた本多さん。父親から解放されたことで好き放題の毎日を送ることになる。

ビーマックスとの出合いで再びスロットを…

 ホールにお金が落ちているとまで言われた90年代半ば。技術介入全盛期にもかかわらず、本多さんはパチスロよりも青春を謳歌することに専念していたようだ。そんな本多さんが再びスロットの道に足を踏み入れたのは、“とあるパチスロ台”との出合いだった。 「大学3年の頃、久しぶりに打つかぁ〜って、たまたま打ったビーマックス。この台でまたハマッてしまいました。リプレイハズシやれば平均560枚。初めて打ったときに600枚超えたんだけど、目押しできるだけでこんなに出るんだ!って興奮しましたね。しかもこの台、ビタハズシができれば機械割もかなり甘い。何よりもあのサウンドとデザイン。もう、見た瞬間からビビッときて、もう“寝ても覚めてもビーマックス”といった状況でした(笑)」
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実家とは絶縁状態に……
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グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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