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“早稲田卒の元パチプロ”が語る「父親と絶縁するまで」。就職浪人中に「パチスロを打ち続けた」男の末路

就職浪人中もスロットを打ち続ける

パチスロ 水を得た魚のようにビーマックスを打ち込んだ本多さんだったが、頭の片隅では「こんなんずっと続かないよなぁ……」という思いも常にあったという。  しかし、時代はパチスロ狂乱の時代が始まろうとしていた90年年代後半。本多さんの思いとは裏腹に、パチスロは過激な仕様の台が次々とリリース。ホールも出玉合戦の様相を呈するようになっていった。 「大量獲得機全盛になると、いろんな台が出てきて楽しかったです。この頃はもうバイトもヤメてスロット一本。自分たちの世代は氷河期世代ど真ん中で就職活動がスタートしました。早稲田でもなかなか思うようにいかない人は多くて、あくせく就職活動して大したことない会社に入って歯を食いしばって働くのはどうかなぁって。とりあえず就職浪人って形で一年浪人したんですけど、結局ずっとスロット打っていましたね」

実家とは絶縁状態もスロットは絶好調

 こうした生活に職人気質の父は黙っているはずはなく、口うるさい父親を敬遠して本多さんは実家と絶縁状態に。  だが、スロットは絶好調。「実家なんてどうでもいいや」とばかりに、本多さんはスロプロ稼業にドップリとハマッていったのであった。 「とにかく絶好調。“大学5年生”の頃にはホールで知り合ってできたスロ仲間みたいなのがいて、みんなでデータ取って情報交換していました。でも、素直に喜べなくなってきたんです。大学の同期は苦しい思いをして内定を勝ち取って就職して、あくせくしながら働いてるのに、1人プータローみたいなことやって取り残されたっていうか……」  結果、本多さんは大学を卒業してそのままスロプロ生活にはいることとなった。そして本多さんの人生は、ここからさらに大きく変わっていくことになる。 文/谷本ススム
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター
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