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「日本人は哀愁民族」河合優実(24)が体現する伝統的魅力。『あんぱん』で見せた“無言の演技力”に注目集まる

後ろ姿でも演技が出来てしまう

蘭子は家の門の外に腰を掛けていた。カメラは横顔しか映さない。蘭子はやや肩を落とし、無表情で宙を見つめているばかり。それだけで蘭子の傷心と悲痛がひしひしと伝わってきた。河合本人も演出サイドも彼女には哀愁があると知っているはず。それが生かされた。 演技力そのものも折り紙付き。2021年には映画界の新人賞の大半を獲得し、昨年公開された主演映画『ナミビアの砂漠』と『あんのこと』では主演映画賞を総ナメにした。 演技賞を独占するくらいだから当然なのだが、河合は後ろ姿でも演技が出来てしまう。それは『あんぱん』でも分かる。 『あんぱん』の第29回、蘭子は豪に召集令状が届いたあとも勤め先の郵便局に向かう。肩が落ちている。首も心なしか前に傾いている。河合は表情もセリフも使わずに蘭子の沈んだ気持ちを表した。 そもそも優れた演技とは何か。「作品内に溶け込み、観る側は俳優が演じていることを忘れてしまう演技」(演劇評論家・木村隆氏)。河合にそれが出来ることを否定する人はいないのではないか。 河合は素質に頼らず、演技プランも周到に考えている。古き時代を思わせる『あんぱん』での身のこなし方には舌を巻くが、それでも本人は納得していない。「『自分は現代人の体の使い方をしている』と思うこともあります」(河合、『婦人公論.jp』5月21日)。考え抜いて演技をするタイプなのである。 12歳から母親に体を売ることを強要され、やがて覚せい剤に依存する少女・杏を演じた『あんのこと』のときはこう語っている。 「歩き方や箸の持ち方を考えたり、杏がどういう文字を書くのか監督と試してみたり。服装やメイクなども含めて、スタッフの皆さんにも協力してもらって緻密につくっていきました」(放送批評懇談会『GALAC』2024年7月号) 演じる役の人間がどんな文字を書くかまで考える俳優はほとんどいないだろう。道理で作品内に溶け込むわけだ。

河合優実の天才性

優れた俳優になるための素質は「1に声、2に顔、3に姿」である。これは歌舞伎も含め、どのジャンルの俳優も同じ。 河合はどうか。まず「声」。低いが、よく通る。また、どこか、可愛らしい。なにより、口跡(俳優の声の使い方とセリフの言いぶり)が抜群にいい。だから、どんな早口や怒声でもハッキリと聞き取れて、胸に届く。 第38回で蘭子はのぶに向って、こう声を張り上げた。 「子供たちにもそう教えちゅうがかや? 兵隊になって戦争に行きなさい、命を惜しまずに戦いなさいって。豪ちゃんみたいに名誉の戦死をしなさい、戦死したら、立派やって言いましょうって」 声が大きかったから、やや割れていたが、不快には思わせなかった。やや早口だったものの、よく聞き取れた。口跡がいいからである。名優の必須条件だ。 2番目は「顔」。これは語り尽くされているだろう。面長と涼しげなが大きな特徴か。大人びた表情が得意とするものの、それでいて顔には幼さも残っている。これも俳優としてはプラス。役と演技の幅が広がる。 昨年放送されたTBS『不適切にもほどがある!』で河合は不良高校生・純子を演じ、父親・市郞(阿部サダヲ)に向って「おやじ、金くれ」と繰り返した。とんでもない娘だったのだが、観る側がなんとなく許せたのは可愛げがあったから。顔に残る幼さが生きた。大人びた表情は演技とメイクでつくれるものの、幼さを出すのは難しい。
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手足の長さが“映え”にも繋がる
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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