更新日:2025年06月26日 14:24
エンタメ

「10歳で東京の7LDKでひとり暮らし」 『バチェラー』司会の坂東工(47)が“寂しかった”子ども時代を回想

衝撃的な大人だった“育ての父”

――一家離散、それに付随して坂東さんがひとり暮らしをするきっかけになった原因を作ったのはお父様だと思いますが、マイナスの感情は持っていないようにみえるのが不思議です。 坂東工:客観的にみれば、とんでもない父親なのかもしれません。母にしても、今なら“育児放棄”なのでしょう。ただ、それ以上に周囲に助けられてきたことが私の人生を豊かにしてくれたとも思うんです。  たとえば、当時は小学生でアルバイトをさせてくれるところがありました。私は週に6回、新聞配達をやっていました。それで月に5万~6万円くらいにはなったと思います。  それから、私が“育ての父”と呼ぶ人との出会いもありました。彼は私の同級生のお父さんなのですが、赤い眼鏡をして、短パンを履いて……みたいな風貌で。「大人はネクタイを締めてスーツを着て出勤するもの」と思っていた私にとって、衝撃的な大人でした。あとから聞いた話では、デザイナーだったようです。仕事が忙しいのに、週に1回くらいはご飯を食べさせてくれました。今でも思い出すのは、私が自分の生い立ちを話したとき、彼が「お前、それおもろいな」と言ったんです。それまで、私は自分の人生が面白いとは思っていなかったので、特別感を与えられたみたいで、衝撃的でした。憐れむとか憤るでもなく、私の人生を真正面から肯定してくれて、対等に扱ってくれた初めての大人だったと思います。思えば、最初に演劇に連れて行ってくれたのも彼でした。映画とか本の面白さも、彼に教わりました。  たとえば心が器だったとすると、その時の私の器には、明らかに欠けているピースがあるような状態でした。けれども、そういう人との出会いによって、ピースはまた自分ではめていくことができる。そうすれば、人の善意とか好意というものを注がれても漏らさずに満たせる自分になっていくのだと思います。 =====  坂東さんの、爽やかでにこやかな、美しい佇まいに魅了される人は多い。与えられた環境のなかでひたすら今を生きた結果、引き寄せたとしか思えない大きな仕事に巡り会えた。その素地を作ったのは、間違いなく幼少期だろう。不幸を嘆くのではなく、人生に向き合うこと。その繰り返しの根源に、他者への感謝がある。 <取材・文/黒島暁生>
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
1
2
3
【関連キーワードから記事を探す】