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「父のキゲンは、巨人が決めている」読売ジャイアンツの“父の日ツイート”が炎上した本当の理由

「観る」だけでなく、身体を用いてスポーツを捉え直す時代へ

たとえば、現在は多少衰えが見えるとはいえ、ジャイアンツの看板選手である坂本勇人のような華麗なグラブさばきや、豪快なホームランは、多くの人間にとっては到底真似できない身体的な技能の結晶だ。しかし、テレビの前や球場のスタンドにいる「父」は、ちょっとしたエラーや凡退に対して容赦ない罵声を浴びせる。自分は一度もプロの現場に立ったことがなくても、である。 しかもその姿は、ソファに寝そべり、ポテトチップスをつまみながら、リモコンを片手に“評価者”として振る舞うというものだ(なお、英語圏ではソファの一種であるカウチに寝そべりポテトチップスを頬張って受動的な娯楽に溺れる人々を、やや自嘲気味に「カウチポテト(couch potato)」と呼ぶ)。 そこには、ただテレビを“見ているだけ”だけにもかかわらず、家庭内で権力を振るうことができた「矮小な父」の姿が浮かび上がる。身体を使ってプレーをすることと、映像を通してそのプレーを消費し評価することのあいだに横たわる深い断絶――。それはテレビという“特権的メディア”が生みだしてきた構造である。 かつてテレビの前で選手をジャッジしていた「父」たちは、今やその権力を失いつつある。そして彼らの“上から目線”そのものへの批判的な眼差しもまた、社会の中で育ってきている。その一方で、私たちは、「観る」だけではなく「身体を用いてスポーツを捉え直す」という、新たな地点に立っているのかもしれない。 ランニング、ウェイトトレーニング、ヨガ、あるいはストリートスポーツを実践する人々、さらにはYouTubeやInstagramに現実の野球のプレー動画を投稿する人々もますます増えている。こうした 「実践者」たちの存在は、かつての“カウチポテト”的視線とは異なる新たなスポーツ文化の兆しだ。「観る」ことと「する」ことのあいだにある深い溝を見つめ直すこと。そうした実践の積み重ねの先に、スポーツという文化は新しいかたちで立ち上がっていくのではないだろうか。
編集者・ライター。1986年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部社会学科卒、同大学院社会学研究科修士課程中退。批評誌「PLANETS」編集部、株式会社LIG広報を経て独立。2025年3月に初の著書となる『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社新書)を刊行。現在は「Tarzan」などで身体・文化に関する取材を行いつつ、企業PRにも携わる。クラブチームExodus Baseball Club代表。
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