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「もともと細身だった」フルート奏者の女性が「ベンチプレスで110キロ」挙げるまで 「生き方を変えられてよかった」

音大進学を志望するも、現実は厳しく

 他の部員たちよりも遅れて入部したが、上原さんはレギュラーの座を掴んだ。それだけでなく、中学時代の大会成績によって、吹奏楽の超強豪・常総学院高校の推薦枠を勝ち取った。そして高校時代も同じ熱量でフルートに向き合い、指定校推薦で立命館大学へ入学することになった。だが、順風満帆にみえる吹奏楽サクセスストーリーかと思えば、そうでもないようだ。 「やはり根底では、音楽大学へ行きたかったのかもしれません。両親からは『うちにはそんなお金はない』と言われて、その夢は叶いませんでした。もちろん立命館大学は素晴らしい大学ですし、私にはもったいないくらいの場所です。けれども、たとえば大学での勉強などには興味が持てなかったんです」  大学のオーケストラ部には1~2年でほとんど行かなくなってしまったが、部員を介して知り合ったフルートの先生には4年間ずっと師事した。 「その先生からは『フランス留学を望むなら実現できるレベルだけど、正直、音楽で食べていくのは一般的にかなり難しい』と言われ、『音楽をやるのは大学を卒業してからでも遅くないのでは』とアドバイスをもらいました。私よりも経験のある大人が言うのだから、そうなのだろうと腑に落ちました」

10年間にわたり、二足の草鞋を履く生活を続けた

上原麻依

うつ病を経て、音楽で生きていくことを決意

 大学卒業後、一時的に実家の家業を継ぐものの、家族という甘えから衝突を頻回に繰り返す。父親から「外で働け」と放り出された上原さんは、大手保険会社での勤務を始めることにした。 「働きながら音楽活動をしていました。いくつかの有名なプロオーケストラを受けましたが、箸にも棒にも引っかからないんです。そんな折、ゲームのBGMを専門にしたプロオケを立ち上げるとの話を聞いて。オーディションを受けると、合格することができました」  昼は社会人として働き、夜はオーケストラの練習がある。睡眠時間を犠牲にした生活は長くは続かなかった。 「プロオケは楽譜を渡されてから完成させるまでの時間が短く、昼間に働いている私には厳しいものがありました。くわえて、昼の職場での人間関係でも悩みがあって、うつ病に罹患してしまいました。10年間働いて、『もういいかな』と退職をすることにしたんです。思い切り音楽をやろうと思っていたんです」
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ベンチプレスの公式記録は「110キロ」
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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