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“アメリカン・ウェイの象徴”ハルク・ホーガンが逝去。「プロレスが下手だった青年」が「空前絶後のスーパースター」になるまで

スタン・ハンセンが予言「あと1~2年したら……」

 1984年、WWFは全米侵攻作戦を開始。そのときの看板スターはホーガン。映画『ロッキー3』出演で爆発的に知名度を上げ、アントニオ猪木を失神葬でアップセットし、WWFでついにプロレス界のスーパースターになった。  ここで重要なのは、ヒロ・マツダにしごかれ、猪木の薫陶のもとにブレイクした“日本の作品”がアメリカンドリームを成し遂げたという点だ。ホーガンこそ、最大最高の「日本帰りは出世する」である。  加えて、タイミングも良かった。シルベスター・スタローン主演『ロッキー4』、アーノルド・シュワルツネッガー主演『コマンドー』、そして第1回レッスルマニア。これらはすべて、1985年の出来事だ。「トレーニング、ビタミン、神への祈り」というフレーズをよく口にしたホーガンだが、時代がマッチョを求めていた。  以前、週刊プロレス元編集長のターザン山本に取材した際、氏は以下のようにホーガンを評していた。 「ホーガンが俺を呼ぶと、バックから『ロッキー3』の写真を10枚くらい出して『お前のマガジンに載せてくれ!』って言うんだよ。そのときに『こいつは絶対出世する』と思った。で、ハンセンが俺にささやくんですよ。『あと1~2年したら、俺が電話してもホーガンからこう言われるだろう。“マネージャーを通して俺に電話してくれ”って』。だからハンセン、そのときに読めてたんよ!」  アメリカンプロレスの一つの頂点になったホーガン。アメリカの80年代のプロレスは、他のレスラーにとって「どれだけホーガンになれるか」の競争だったと言ってもいい。

ベストバウトはロック戦かアンドレ戦

 1996年、WWFのライバル団体・WCWで発足したユニット「nWo」。ホーガン、ケビン・ナッシュ、スコット・ホールの3人体制だった初期は特にカッコよかった。かつての人気は消えたと思っていた矢先に、nWoブームでホーガンの存在感は再燃した印象。  ヒール転向後、2002年に開催された「レッスルマニア18」におけるロック戦は伝説だ。ヒールであるはずのホーガンがロックより声援を受け、一方のロックにはブーイングが飛ぶ予想外の展開に。空気を読んだ2人はフェイスチェンジし、途中からホーガンが黄・赤のコスチュームを着けていたベビーフェイスへと戻っていく名試合である。  内容もさることながら、ホーガンがアメリカ国民からどれだけ支持されているかが露わとなった試合だった。ホーガンのベストバウトはこのロック戦か、「レッスルマニア3」(1987年)のアンドレ戦のどちらかになる気がする。  WWF全米侵攻でベビーフェイスを、のちのnWoではヒールを極め、社会的ムーブメントを巻き起こしたホーガン。さらには、日米の両国でスターになっている。そんなレスラーは空前絶後、彼以外にはいない。
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晩年にはいろいろあったけど……
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1978年、東京都生まれ。2008年よりフリーライターとして活動中。得意分野は、芸能、音楽、(昔の)プロレス、ドラマ評。『証言UWF 最後の真実』『証言UWF 完全崩壊の真実』『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実 』『証言 長州力 「革命戦士」の虚と実』(すべて宝島社)で執筆。

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