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「子どもたちの人権は後回しだった」元教師が選択した“フリーランス教員”という働き方。「報酬」も学校と交渉して決められる

脅すようなかたちで大人しくさせるやり方は違う

「しかし」と、木野さんは言う。「それは大きな勘違いでした」と続ける。 「最初は高校生の担任で、卒業させると、次には中学1年生の担任になりました。中高一貫校なので、そういうローテーションになっていました。受験勉強を経て、いろいろな夢や希望を抱いて入学してきた子どもたちを、それまでやってきたように脅すようなかたちで大人しくさせるやり方は違うな、と考えるようになりました」  さらには、その中学1年生が大学を受験する2020年度からは大学入試制度が大きく変わることになっていた。それまでの知識偏重ではなく、自ら学ぶ主体性などが評価される入試に変わるといわれていたのだ。 「主体性を優先する指導などしたことはありませんでした。そこで、いろいろな研修を受けて勉強しました。そうしたなかで気づいたのは、怒鳴って従わせるとか、『夢を実現するには勉強しなければダメだ』と脅すやり方は、全部が外発的な動機づけでしかないといことでした。それでは主体性は育ちません。子どものためとおもっていたけれど、実は自分のためでしかなく、『木野先生のクラスはまとまっているよね』などと言われて、教員としての自分が一目置かれる存在になりたいという思いでしかなかったとにも気づきました」

学校の方針とズレが生じ、担任を外される

 そこから木野さんの指導方法は、ガラリと変わる。子どもたちにも意見を言わせて聞いて対話し、合意形成していくやり方になったのだ。 「かなり変わりましたね。変わりすぎて、従来の有名大学を目指す知識偏重の指導法を変えられない教員とは、かなりぶつかりました」と、木野さん。学校の方針ともズレが生じることになる。 「東京大学に合格できる学力があっても、その生徒が『上智大学を目指したい』と言えば、『いいじゃないか、がんばれ』というのが私の指導でした。しかし、それは学校の方針とは違う。進学率を優先する学校だったので、実力があるなら本人の希望でなくても東京大学に合格させるのが学校の方針だったのだとおもいます」  その食い違いなのか、中学1年生から担任してきた子たちが、高校2年生になるとき、木野さんは担任を外されて、違う担任にまわされた。その学校ではそのまま高2、高3と卒業するまで担任するが通常のスタイルだったにもかかわらず、外されてしまったのだ。  これをきっかけに、木野さんはその学校を辞めた。そして他校の非常勤となり、同時に教育系ベンチャー企業にも就職する。 「非常勤の仕事が決まったのが先だったので、ベンチャー企業に採用が決まったときに『学校の非常勤は辞めるべきですか』と訊いたところ、『教職もやってる社員がいるのもいいかも』と副業が認められました」
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主夫業と並行してフリーランス教員に
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1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。ジャーナリストの故・立花隆氏、田原総一朗氏のスタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーランスに。流通、金融、自動車などの企業取材がメインだったが、最近は教育関連の記事を書くことが多い。日本経済が立ち直るためにも、教育改革が不可欠と考えている。著書に『教師をやめる』(学事出版)、『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)などがある。
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