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橋本真也の急逝から20年。蝶野正洋が振り返る「死の1カ月前に橋本が語った復帰プラン」

死の1カ月前に橋本が蝶野に語った復帰プラン

こうして「闘魂三銃士揃い踏み」は幻となった。その1カ月後、電話で約束をした橋本と蝶野の会食が実現した。 「(05年)6月くらいに、麻布の焼き肉屋で二人きりで会ったんだけど、やっぱ顔色は悪かったね。こっちは大丈夫かよって思ったんだけど『肩のほうは順調に回復してる』『ハッスルのDSEともう1回組んで、再スタートするんだ』と今後のプランを語ってくれた。あとはZERO-ONE勢への恨み節もね。 でもその口調は決して暗いものではなくて、考え方そのものはしっかりしてたよ。復帰プランも含めて、また日本のプロレス界のトップに行くという具体的な話をしていた。その話っぷりは政治家にでもなれるんじゃないかというぐらいの説得力があったし、なによりもプロレスのことをすごく考えてた。やっぱり好きなんだと思ったよ、プロレスが。 最後は『いろいろあるけど、まずはちゃんと体を戻すしかないね』と言って別れた。これが俺が橋本選手に会った最後の夜。訃報を聞いたのは、その1カ月後くらいだね」

橋本選手らしい、バタバタした亡くなり方だった

05年7月11日、橋本は脳幹出血で倒れ、救急搬送される。そのまま帰らぬ人となった。 「朝11時ぐらいだったかな。坂口さんから『橋本のこと、なんか聞いてるか?』という連絡があって、俺は『いや、何も聞いてないです』と答えて電話を切った。すぐに橋本選手の携帯電話にかけたら、女性が出た。その時はわからなかったけど、(冬木)薫さんだよね。それで『蝶野さんだけに言いますけど、橋本は今朝亡くなりました』と。薫さんは新日本関係者に知り合いがいなくて、誰に伝えればいいのかわからなかったんだろうね。俺はすぐに坂口さんに折り返して『橋本が亡くなったようです』と伝えて、(妻の)マルティナと一緒に病院に向かった。 この時点で橋本選手が亡くなったということは公表されてないんだけど、どこかで噂を聞きつけたマスコミがすでに病院に集まってきていた。それで病院の人に聞いたら、橋本選手の遺体は検死のために警察に向かった、と。それで俺も警察に行ったんだけど、着いたら駐車場にでっかいセンチュリーが停まっててね。そこから人相が悪い人が降りてきたから、借金の取り立て屋がもう来てるのかと思ったら、その人は橋本選手を晩年まで世話をしてくれていた社長さんだったんだよ。その社長さんが、橋本選手の遺体は検死が終わって安置所に行ってますと教えてくれて、そこでようやく手を合わせることができた。 橋本選手らしい、バタバタした亡くなり方だったよね。周りは右往左往させられるんだけど、なぜか憎めない。晩年はトラブルも多かったみたいだから、橋本選手に対していろいろ恨みを持ってた人もいたかもしれない。しばらくして、『ワールドプロレスリング』で追悼特集をした時に、関係者のコメントをもらったんだけど、なんて言っていいのか、言葉がすぐに出てこない人も多かったからね」
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亡くなってから20年も経ったけど、話は尽きない
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