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橋本真也の急逝から20年。蝶野正洋が振り返る「死の1カ月前に橋本が語った復帰プラン」

亡くなってから20年も経ったけど、話は尽きない

橋本真也の告別式での蝶野正洋、小川直也、武藤敬司

橋本真也の告別式での蝶野正洋、小川直也、武藤敬司

闘魂三銃士が揃い踏みすることは永遠になくなってしまった。しかし、橋本の存在感は今もプロレス界に影響を与え続けており、様々なイベントでも回想され続けている。 「橋本選手は同じ時代を生きた同志だった。闘魂三銃士の3人は、そこまで仲良くはなかったかもしれない。でも、変な足の引っ張り合いもしないし、みんなそれぞれ自分で自分の立ち位置をしっかりつくっていたから成立した。ケンカすることも、ほとんどなかった。 あと、女のタイプもそれぞれ違ったから、それで揉めることもなかった。たまたまなんだけど、闘魂三銃士がみんな近場に住んでた時期があった。よくお互いの家に行ったり来たりしてたから、あの頃がいちばん関係性が近かったかもしれない。ただ、ウチに橋本選手を呼ぶとマルティナが嫌がってたね。あのひと、危ないことしか言わないからって(笑)。 亡くなってから20年も経ったけど、橋本選手の話は尽きないよね。その時々の行動一つひとつに、でっかい足跡を残してるから、いまだにいろんなエピソードが出てくる。そういう意味では、闘魂三銃士は、間違いなく橋本選手のおかげでここまで引っ張ってこれたんじゃないかな。その点については、あらためて感謝したいね」

武藤とともに橋本の墓参りに

19年、蝶野は「闘魂三銃士」の盟友、武藤とともに、岐阜県土岐市にある橋本の墓を訪れている。 「あれは土岐市で俺と武藤さんのトークショーが催された時に、せっかくだからと、俺から武藤さんに声をかけて墓参りに行ったんだよ。二人で足を引きずりながらお墓まで行って、手を合わせて、写真を撮って、ぽつぽつ歩いて帰ってきただけなんだけどね。その間、武藤さんとはとくに何を話したってこともなかったかな。 武藤さんは、もともと他人の話をしない。いつも自分、自分だから(笑)。でも、橋本選手については別だった。昔から俺と二人で会った時は、『またブッチャー(橋本のあだ名)がこんなことしたみたいだよ』とか、そういう話になってしまう。多摩川で鴨か もを撃ったとか、選手会費を使い込んだとか、ほぼ犯罪に近いような情報が入ってくるからね。 橋本選手が亡くなってからも、取材や対談、トークショーなんかで武藤さんと並んで話す機会はあるけど、最終的には橋本選手のエピソードばかりになってしまう。それは生前から話していたものもあるし、亡くなった今だから話せるものもある。時代が変わって、今はもう話せないようなものもある」
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トークショーで話せるネタは、全体の10%くらい
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