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まるで旭日旗…椎名林檎ファンの光景が波紋。「ヘルプマーク」グッズで炎上の過去と“共通している点”

椎名林檎のユニークさを際立たせる“表現活動の弱み”とは?


 いずれのケースも、彼女のユニークさを際立たせる表現活動の弱みが現れていると感じます。  それは、椎名林檎には自らの根拠となる思想がないということです。それよりも、何をすれば他人より目立てるか、何をしたり言ったりすれば世間が騒いでくれるかにしか興味がない。“椎名林檎がやるのだから何か深い意味があるのだろう”と思わせることだけに心血を注ぐ、そういうタイプのアーティストなのですね。  たとえば、「NIPPON」という曲にしても、ロックと言えば反権力だとか国家の介入に抗議するという相場に反旗を翻したことがインパクトを与えました。 「NIPPON」がリリースされたのは2014年。その2年ほど前から安倍晋三自民党総裁(当時)が『日本を、取り戻す。』というスローガンのもとに選挙を戦い、自民党が政権に復帰して保守勢力の反動が強まった時期と合致します。  ここで椎名林檎は、あえて時勢に乗っかるのみならず、死と国粋主義を結びつける過剰さを演出することで、いつの間にか東京五輪の中枢に食い込んでいた。  そう、一番目立つ舞台に立つために、彼女は日の丸を利用しただけなのです。  ヘルプマークのデザインをグッズに採用するのも、この“目立つ”という目的以外に何もありません。道徳的、倫理的に際どいラインを攻めて社会を挑発することができさえすれば、モチーフはヘルプマークでなくてもいい。そこには彼女の審美眼や思想的な根拠などは何もないからです。  だから、騒動になりグッズのデザイン改定が決まったあとも、椎名林檎は何一つコメントを出せませんでした。東日本大震災のときに、<どうか確かに生きてらしてくださいませ。案じて居りますし、お気持ちしっかり、よろしくお頼み申し上げます。>という、麗しい現代的散文的古文体で声明を発表したのとは対照的です。  これも、自分が目立ちたいときだけ目立つ、というセルフプロデュースの方法論なのですね。愛国主義やら旭日旗やらエセ古文調やらヘルプマークやら、色々とやってはいますが、形は違えど基本的な発想は全部一緒なのです。  振り返ると、彼女がやっていることは、椎名林檎というブランドを実体以上に大きく見せるために“思わせぶり”が上手く機能するトピックを上手に選び続けているだけなのではないでしょうか。その時々の状況にあわせているだけなので、たとえば2014年当時の時代の空気感が違ったものだったら、それは日の丸ではなく全共闘のヘルメットになるだけの話。

椎名林檎という存在には“ギミック”が必要な理由

 では、なぜ椎名林檎はこのようなギミックを投入し続けなければならないのでしょうか?  それは、ひとえにミュージシャン、シンガーソングライターとしての資質の問題なのだと思います。椎名林檎は、宇多田ヒカルやaikoなどのように、ただひたすらに曲を書いて歌うだけでは、自らのブランドを保てないタイプのアーティストだからです。奇抜な衣装やステージセット、そこに旭日旗やヘルプマークなどのスパイスが加わることで、作風に意味合いを持たせる。  音楽よりも、行動の面白さが勝つミュージシャンなのです。  だから、筆者は椎名林檎のファンが旭日旗を振り回すことで社会が右傾化するとか外国人排斥に向かうとかの心配は杞憂だと考えます。  巨大な空虚だからこそ、旭日旗を振り回すのもただのお遊びで済んでいる。むしろ、彼らが椎名林檎に熱狂して旗を振るほどに、冷ややかに回る空っぽのコマのように速度をあげていく。  その音楽に重みがないおかげで、ファンが旭日旗を振る光景にも真実味が生まれない。形骸化によって救われている構図が、そこにはあるからです。  耐えられない存在の軽薄さを、椎名林檎は一身に背負っている。そんなアイロニーに見えるのです。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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