2回目のデビューと復帰のきっかけ
――そういう思いをしながらも、1回目の引退後、2014年に復帰されてます。珍しいケースだと思うんですが、どんな意図や目的で復帰したんですか?
音市:今の事務所のマネージャーや社長と会う機会があり、食事を一緒にしていたら、業界の面白さやファンとのイベントの楽しさを思い出したんです。「またファンの人に会いたい」「もう一度やってみたい」って気持ちが強くなって復帰しました。
――イヤな思い出より、楽しかった思い出が上回ったんですね?
音市:はい、1回目の引退から数年経ってSNSもやってなかったので、純粋に「ファンのみなさんとの楽しかった思い出をもう一度」って思い、ファンの人に会いたいという気持ちが上回ったんです。
――1回目の引退後の日常生活で、セクシー女優をやっていたことの弊害はありましたか?
音市:日常生活で「音市美音さんですか?」とか声をかけられることはなかったし、「私なんて誰も知らないでしょ」って思っていたので、普通に生きていました。でも、一番気にするのは職場でした。引退後、2年間くらいは「気づかれないかな」って心配していました。職場や恋愛でイヤなことが重なって、精神的に落ち込んでました。
――「音市美音」の活動の影響ですか?
音市:恋愛でも付き合ってからセクシー女優だったことがバレるのはイヤだったので、付き合う前からカミングアウトしていました。それを受け入れてくれる人もいましたし、「無理だ」と言われたこともありましたね。仲が良かった女性の友達からも、セクシー女優だったことを知られた瞬間「セクシー女優をやっていたんだ。ごめん無理。友達をやめる」って言われ、連絡が途絶えたこともありました。
――どうしてそこまで避けるんですかね?
音市:今でも「セクシー女優だったの?」って言われることもありますし、それを知ると距離を置かれることもあるんです。嫌悪感を抱く人がいることを分かっていながら、セクシー女優をやっていたので、そういう考え方も理解はできるし受け止める覚悟もあるんです。そんななかでも一番傷ついたのが……(泣)。
――思い出しましたか……。そちらの話は落ち着いてから聞きます。そんな気持ちを抱えながらも再デビューしたのは、先ほども言っていましたが「ファンとの楽しい思い出」なんですか?
音市:2回目の復帰は精神的にも不安定でしたけど「変わらなきゃ」「楽しく生きたい」って気持ちが少しずつ出てきました。メーカーのキャンペーンガールもしていたので、ファンから受け入れられたのが嬉しかったです。
――撮影も楽しくできましたか?
音市:撮影現場にも慣れていて、楽しく撮影できたし、自由にできた部分もありました。イベントは一度しか開催できなかったけど、ファンの方から「待ってたよ」と声をかけてもらえたことが本当に嬉しかったです。自己肯定感の低い私にとって、その言葉は大きな励みになり、ファンのみんなのために頑張ろうという気持ちが芽生えました。
――デビュー時は気にしていたSNSはどうでしたか?
音市:ツイッター(現・X)を使っていたけど、悲しい思いはしなかったです。アンチや中傷にも強くなったし、レビューで落ち込むことも減りました。でも……。
――先ほど話そうとしたことですか?
音市:直接、私に対する攻撃ではなくて、友人や身近な人たちに対しての誹謗中傷があったんです。友達が務める職場で友達が「セクシー女優の友達」「お前もセクシー女優だろ」とイジメられたんです。私自身が言われるなら覚悟がありますけど、友達が巻き込まれるのは本当に辛くて、罪悪感でいっぱいでした。それが精神的に一番キツかったです。
――どうしてそのことを知ったんですか?
音市:誹謗中傷を受けている友達から相談されたんです。
――どうして音市さんとは関係のない職場の人が知っていたんですか?
音市:友達の職場の人と会ったことがあるんです。
――それだけの理由でイジメですか!? セクシー女優が友達というだけでイジメる世界があるんですね。
音市:私も驚きました。非難するなら、直接私に言えばいいのにって思いました。その友達に対して何もできない辛さと罪悪感でいっぱいでしたね。同時期にいろいろと重なったので精神的に不安定になり、自分自身を否定して、食事も喉を通らないようになりました。そこで、メンタルクリニックに通い始め、睡眠導入剤も飲んだんですけど寝られず、「私なんていない方がいいんだ」などと考えてばかりいました。一瞬でもこの苦しさから逃れたくて、リストカットもしました。
――かなり追い込まれましたね。
音市:常に睡眠導入剤とカミソリを持っていないと動悸がしてしまい、仕事中もトイレでリストカットをしないと生きていけないほどでした。カミソリを忘れたときには、わざわざ買いに行くこともありました。
――それは本当に辛かったですね。どうやって乗り越えたんですか?
音市:今のマネージャーや事務所の社長が支えてくれたんです。「私の方がどうして変わらないといけないんだ」っていう憤りもありましたが、生きるんだったら楽しく生きたいという気持ちも芽生えて、やり残したことをやりたい、夢を叶えたいって思えたんです。それが写真集のクラウドファンディングや今回の写真展開催につながっているんです。