騒動を経て有名人に「芸がなく結果を残せなかった」

「坂本一生」に改名後はユニットを組んで歌手活動も行った
ーー7月7日のデビューから20日後の1993年7月27日に「坂本一生」としてリスタートされました。
坂本:騒動のおかげで、知名度は一気につきました。経緯はどうあれ、デビュー直後の新人をこれだけ覚えてもらえたのはラッキーでしたね。ただ芸が特になかったので、番組にはたくさん呼ばれるんですが結果を残せなかったのが残念でした。
ーー騒動の悪影響はありましたか?
坂本:紹介される名前が長くなっちゃったのが弊害かもしれません。皆さんに覚えてもらえたのはよかったんですが、スポーツ新聞とか週刊誌で「新加勢大周改め坂本一生』って書かれるのがしばらく続いたんですよ。
スポーツ系の番組でよく共演した、たけし軍団の方からは「お前の名前が長いせいで俺たちの名前が新聞に出ないんだよ!」ってしょっちゅうツッコまれてましたし、新人なのにテレビ欄とかで文字数をいっぱい使うのが申し訳なかったです(笑)。

金髪にしたのは「白髪が増えてきたから」とのこと。かつてのプレイボーイも歳には勝てない
ーーデビュー直後は相当モテたという噂ですが、本当なんですか?
坂本:自分で言うのも変ですがそこそこ人気があったのでモテましたし、僕も遊びたい盛りだったので六本木や歌舞伎町、横浜で毎晩のようにナンパ三昧。見る女性全員に声を掛けるくらいの勢いでした。
ーー経験人数がかなり多いという話も聞きます。
坂本:一夜を共にした人数は1000人近いと思います。50人くらいまでは手帳にどんな女性だったか書いてたんですけど、途中から「キリがない」と思ってやめました(笑)。
ちなみに一晩で8回、行為に及んだこともあります(笑)。相手の女性からは『寝させてくれよ』ってうんざりされてたと思いますけど、若かったなぁ。
ーーさすがに現在は欲求は落ち着きましたか?
坂本:今はもうさすがに落ち着きました。20代の頃から40代半ばくらいまで遊んでましたが、最近は年齢的なものと、トレーニングに打ち込むことで性欲はやっと控えめになりましたね。

ジャッキー・チェン氏とも共演。しかし芸能界の世界を一旦離れた
ーーデビューしてから4年ほど経ち、いったん芸能界を離れた後は、いろいろな職業を経験したそうですね。
坂本:中古車販売、ホスト、鳶職、飲食店、トラック運転手……どれもあまり長続きしなかったので、本当に転々としてました。車の運転は好きで楽しかったですけど、それ以外は生活のために仕方なくやってたから続かなかったんでしょうね。

ホスト時代の坂本氏。まだデビュー当時の面影がある
ーーその後、2005年頃から芸能の仕事を再開したのはどういう経緯からでしょうか?
坂本:クイズ番組『Qさま!!』がまだバラエティ企画をやっていた頃、番組の1コーナーで潜水対決みたいな企画があったんです。それで声をかけてもらって、もともと水泳をやっていたのもあってオーディションを通過しました。
番組に出演が決まって、練習を頑張ってたらどんどん記録も伸び、準レギュラー的に出演するようになっていました。そこで安田大サーカスの団長安田さんと仲良くなり、団長のお誘いで松竹芸能に入ったことで本格的に芸能界に復帰しました。
ーー復帰後はどんなお仕事が多いんですか?
坂本:もともとスポーツタレントだったので、スポーツ系をメインに、バラエティ番組にちょこちょこ出ていました。Vシネマで演技の仕事もやりましたが、我ながら芝居は下手くそなんでいまはないです(笑)。