スポーツ

大谷翔平、山本由伸……日本出身選手のMLB進出はなぜ続くのか? 実力以上に「人気」や「知名度」が報酬に響くスポーツの市場構造

「人気」「知名度」が報酬格差に響く

アスリートたちにとって貨幣は資本主義社会で最も明確な「評価の言語」であり、自己の存在価値を測る秤でもある。「自分が最も評価される場所に行く」——それは単なる欲望ではなく、彼らのごく自然な生のあり方である。 こうした巨額契約の背景には、単なる実力を超えた構造的な要因がある。経済学ではこれを「スーパースター効果」と呼ぶ。わずかな才能や成果の差が、マスメディアとグローバル市場の「人気」「知名度」といった尺度のなかで報酬格差を増幅させる現象だ。資本主義の「最上位の人物が巨額の報酬を得る」という非線形構造を、スポーツビジネスはもっとも純粋な形で体現しているともいえる。 「大谷の年俸が高く設定される必然性がどこにあるのか」という先の問いに答えるなら、彼のような選手は東アジアから北米に至る広大な市場で巨大な人気を得る存在であり、ドジャースは彼をつなぎとめるため、球団経営が成立しうるぎりぎりの水準まで報酬を積み上げざるを得ない、ということだ。 「日本出身選手のMLB進出」背景を考える上でもうひとつキーとなるのは、「日米の経済格差拡大」である。’90年代まで、MLBの市場規模はおよそ1500億円、NPBは約900億円と、その差はそれほど大きくなかった。特に’90年代にはNPBの成長が著しく、円高ドル安の追い風もあり、当時のMLB主力級選手が日本球界でプレーしていた時代でもある。 だが現在、MLBの年間収益は1兆9000億円で、NPBの約2000億円とはもはや隔絶したスケールになった。30年でその金額差はおよそ30倍にまで拡大した計算になる。その結果、’90年代に見られたような「双方向の人材流動性」はほぼ失われ、日本からアメリカへの一方的な人材流出が定着した。また円高だった’90年代と違って2020年代は円安が進行しており、今後この構造が一層固定化していく可能性が高い。 こうした経済的非対称性のもと、日本の野球界は「アメリカに優秀な人材を供給する装置」と化していった。つまり、これまでのように“夢”や“挑戦”のような美談として捉えるフェーズはもはや終わりつつある、ということだ。

スポーツを“夢”の装置でなく“社会的資源”として捉え直す

スポーツの世界で起きるこうした現象は、いわば「資本主義の戯画」、すなわち私たちが生きる社会の矛盾を極端に拡大させて映し出すものである。こうした矛盾を解消することはできるのか。私は大きく、以下の2つの方向性があると考えている。 1つは「NPBにおける外国人枠の撤廃」である。現在のNPBは一軍登録できる外国人選手の数に上限が設けられているが、それを撤廃すると同時に、試合の放映権を東アジアや北米を中心にグローバルに拡大する。同時に「日本」の枠組みを飛び越え、地理的に近い韓国プロ野球(KBO)、台湾プロ野球(CPBL)のチームとも公式戦を行い、さらには中国や極東ロシアのチーム育成も行う(台湾における楽天モンキーズの存在は、その可能性を探っているひとつの象徴的事例である)。 これは単なるリーグの再編ではなく、「アジア野球連合」的な共同市場の構想に近い。実際、欧州サッカーのように“地域統合型リーグ”を形成できれば、アジア全体での市場規模は1兆円を超えるポテンシャルがある。 多種多様な国の選手たちが活躍する姿は、NPB(もはやNPBではないかもしれないが)のコンテンツの魅力を飛躍的に伸ばすと同時に、オリンピックの本来の目的として想定されていた「スポーツによる国際交流」の本義を取り戻すことにもなるはずだ。 2つ目は「スーパースター効果の捉え直し」である。すでに述べたようにスーパースター効果は「資本主義の戯画」だが、逆に言えばスポーツビジネスの世界は現実のビジネスよりも「夢」「希望」を追求していい場でもあるはずだ。であれば、スポーツビジネスで得られた収益の一定割合を社会的投資、すなわちスポーツ普及や資源開発、参加機会のジェンダー格差の是正、普遍的な市民の健康増進へとつなげることをビジネスサイドに義務付けるのである。 たとえば、大谷翔平が全国の小学校にグラブを寄贈したことはよく知られているが、ロサンゼルス・エンジェルスの菊池雄星は出身校のある岩手県花巻市に全天候型野球施設を建設し、横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智は出身地の和歌山県橋本市に野球場を建設、スポーツアカデミー(教育機関)も設立している。 現在、ビジネス全体ではヘルスケア産業への注目が高まっている(Apple、Googleのようなビッグテック企業がウェアラブルデバイス重視へとシフトしているのは「人間の肌の内側」=すなわち“身体”こそが次なる市場だからである)。スポーツ・エンターテインメント産業もまた成長分野だが、ヘルスケア産業との関係はまだ“点”にとどまっており、“面”としての産業構造に統合されているとは言いがたい。スポーツのもつ運動データ・精神衛生的効果・地域コミュニティ形成といった潜在力が、医療・福祉・教育の現場にまで届く仕組みをどう作るか――今後はそこが鍵になるだろう。 日本で最もマネタイズ可能なスポーツである野球を起点に、他競技や地域社会、さらには「子ども・若者の育成」から「大人を含む全年齢のヘルスケア」へと連動していく仕組みに拡張することが望ましい。 大谷のグラブ寄贈や菊池の野球施設建設は、現時点では「個々の取り組み」にとどまっている。「一定割合を社会的投資に還元する仕組みを制度として組み込む」——そうしたルール設計こそが、これからのスポーツ経済に必要な倫理だろう。 「大谷や由伸の活躍」を単純に礼賛したり、あるいは「日本出身選手のMLBへの流出」を嘆くだけでは、スポーツの社会経済的ポテンシャルを使いこなすことにはならない。スポーツを“夢”の装置ではなく“社会的資源”として捉え直すこと——それこそが、私たちが次の時代に持ち越すべき想像力ではないだろうか。
編集者・ライター。1986年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部社会学科卒、同大学院社会学研究科修士課程中退。批評誌「PLANETS」編集部、株式会社LIG広報を経て独立。2025年3月に初の著書となる『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社新書)を刊行。現在は「Tarzan」などで身体・文化に関する取材を行いつつ、企業PRにも携わる。クラブチームExodus Baseball Club代表。
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