フランス料理の巨匠・三國清三が明かす「燃え尽きるまで厨房に立つ」理由。40年前から実践する“地産地消”の先駆け
バブル期に「高級」を知った日本人だが…
日本中が好景気に沸き返っていたバブル時代、海外へ出かけて豪遊したり、高級酒や高級食材を味わったり、ブランド品を身につけて高級レストランで食事をしたりと、お金に糸目をつけない消費行動をとる人が増えた。
それは、人々の「食」に関する経験値を一気に高めることになり、その結果、フランス料理店での振る舞いも変わってきた。
たとえば、それまで、飲み物と言えばビールか水だった人たちが、シャンパンやワインをオーダーするようになった。高くてもおいしいものを選ぶグルメなお客さんが増えた。
お客さんのその変化は、僕たちにとってはありがたい変化であったと思う。
ところが、そこへ来てのバブル崩壊である。
目が肥え舌が肥えた人たちは厳しい目を店に向けるようになる。おいしくなくちゃいや、サービスは行き届いていないとダメ、雰囲気も大切にしたい。だがしかし、バブル期のようにたくさんお金を使うことはできない。
ついに、僕の時代が来た!
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業し、駐スイス日本大使館料理長に20歳で就任。その後名だたる三つ星レストランで腕を磨き、8年後に帰国。85年、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。予約の取れないグラン・メゾンとなる。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど国際的にも活躍する一方で、子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力している。2020年にYouTubeチャンネルを始め、登録者数54万人の人気チャンネルになり、Instagram18万人と合わせると72万人を超える(25年8月現在)。22年、惜しまれながらも「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店、25年、カウンター8席の「三國」を開店。
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『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』 フレンチの巨匠が「ミクニ」で やってきたこと、やれなかったこと
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