「店の前の行列を見て考えた」三國清三が語る“71歳からの再挑戦”。過去の成功失敗から学んだこと
大阪「ミクニ プリヴェ」失敗、最大の理由
うまくいった話を並べるからには、失敗についてもなにか書くのが筋だろう。
じつは成功例と同じくらい失敗もいろいろあるのだが、僕は逃げ足が早いから、ズルズルと負債を抱えるようなことにだけはならないですんでいる。だから失敗が目立ちにくい。ここではその例を1つだけ書くことにする。
2002年、大阪の梅田に「ミクニ プリヴェ」という店を開いた。
知り合いを通して声がかかった仕事で、梅田の一等地にある複合商業ビルへの出店依頼だった。ものすごくおしゃれでスノッブなビルをつくりたいから、三國さんの力をどうしても借りたいんだと熱心に説得されたのだ。
大阪は飲食店の激戦区で新規参入は難しいと言われる。でも、「食い倒れ」の街・大阪でチャレンジしたい、という思いが僕にもあって、やってみようという気持ちになった。
今思えば、この時点ですでにちょっと慎重さを欠いていたようにも思うのだが、とにかく僕は引き受けた。そして、リサーチをかけて、客層を想定し、どんな店にするかを決めていった。
エントランスのデザインは思い切りかっこよくスタイリッシュに。そして、エントランスを入ってすぐの右には回転寿司「三九二」だ。中央はオープンキッチン、周りにテーブル席を配し、ここでおしゃれなフランス料理店を出そう。
「参謀がいない」のが大きな欠点
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業し、駐スイス日本大使館料理長に20歳で就任。その後名だたる三つ星レストランで腕を磨き、8年後に帰国。85年、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。予約の取れないグラン・メゾンとなる。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど国際的にも活躍する一方で、子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力している。2020年にYouTubeチャンネルを始め、登録者数54万人の人気チャンネルになり、Instagram18万人と合わせると72万人を超える(25年8月現在)。22年、惜しまれながらも「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店、25年、カウンター8席の「三國」を開店。
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『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』 フレンチの巨匠が「ミクニ」で やってきたこと、やれなかったこと
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